旧糟谷邸 [古民家]
愛知県西尾市吉良町萩原の[糟谷家]は、江戸時代を通じてこの地方の地主として
また地場産業であった[三河木綿]の総問屋を営み栄えた旧家です。
代々縫右衛門(ぬいえもん)を名乗り、領主の大多喜藩(千葉県)大河内松平家の
御用達頭取として、苗字帯刀を許されていました。
永正2年(1505)に、初代重賢が萩原村に移住し帰農したとされ、以後14代重義が
昭和56年に没するまで、470年間にわたって当地に在住していました。
庭園は、幕末に親交のあった尾州久田流の久田栄甫によって表千家
[残月の間]の写しが建てられ、全体が茶庭化しました。
主屋・長屋門・土蔵・屋敷神等の建物が現存し、長屋門は糟谷家が御用達を務めた大多喜藩の
小牧陣屋(吉良町小牧)から移築したといわれ、武家屋敷の風格が漂っています。
2016-02-01 06:18
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コメント(8)
こんにちは!大変に趣のあるお写真ですね。
遅ればせながら、コメント頂きありがとうございます。
実は古民家に住みたくて、いろいろと調べた時期がありました^^
いずれは住んでみたいものです。
またご訪問させて頂きますね♪
by みつ (2016-02-01 13:24)
子供の頃西尾市に住んでいましたので、行って見たくなりました。
随分様変わりはしているでしょうけれど。
by akanenosora (2016-02-01 22:01)
古民家という言葉はこちらでは耳慣れません。それくらい少ないということです。こんな立派なところを実際に見たいですね。
by JUNKO (2016-02-01 23:06)
お庭もたたずまいが素晴らしく、家屋の中も調度類などいい雰囲気をかもし出していますね。
こんなところでお抹茶がいただけたならいいなぁと思いながら、見させていただきました。
by アールグレイ (2016-02-02 00:04)
吉良町と言えば忠臣蔵の吉良上野介、同じく賄賂政治で悪名高き田沼意次公は、私の勤める工場のある旧相良町(現在の牧之原市)の領主で、確か姉妹都市になっていると思いました(^^;;
by 風来鶏 (2016-02-03 16:46)
西尾と千葉県の大多喜、こうした因縁があるとは。
大多喜は、徳川譜代の治める地として、初代は、この地に墓のある徳川24将の一人本田忠勝の墓所のあるところ。
その後、幕藩体制にとって最重要の地である大多喜を収めた大河内松平家が、なぜ糟谷家に苗字帯刀を許したのか.......・
大多喜入府の前に西尾とどんな関係があったのか、なんとも興味をそそらてしまいます。
by 老年蛇銘多親父(HM-Oyaji) (2016-02-07 21:34)
こんばんは。
綺麗にそして、丁寧に保存されているんですね。
by まる (2016-02-13 18:43)
懐かしき井戸のたたずまい… 訪ねたい!
by 唐糸 (2016-02-20 03:06)