六所神社 [神社・仏閣]
愛知県豊田市坂上町: 本日は好天気、三河国三霊山の一つ六所山に登りました。
その六所山の麓に鎮座する六所神社下宮、道を挟んだ境内に明治5年(1872)に
建てられた間口14.5m・奥行き8.5mの木造平屋茅葺きの舞台があります。
この[六所神社農村舞台]は、豊田市の有形民族文化財に指定されています。
六所山の山頂近くに鎮座する六所神社上宮、そのわずか上に蜂ヶ峰神社
竹島 [神社・仏閣]
愛知県蒲郡市竹島町:近くの砥神山と御堂山にハイキングの後、蒲郡市のシンボル的
存在でパワースポットとして有名な竹島の[八百富神社]にお参りしてきました。
本土と約400m離れている竹島は、標高22m・周囲は約680mですが
島全帯域が八百富神社の境内となっている聖域で、橋をわたる際にカップルは
しっかり寄り添い、渡り切るまで決して振り返ってはいけないそうです。
橋を渡り階段を登って最初に見えるのが[宇賀神社]、ご祭神は穀物の神様
宇迦之御魂神(ウカノミタマノカミ)、その奥の島の中心に[八百富神社]本殿が
鎮座し、ご祭神は市杵嶋姫命(イチキシマヒメノミコト)開運・縁結び・安産に
ご利益が有るとのこと、そうですこの神様が[弁天様]だそうです。
今日は寒いすぎるようでユリカモメも活発に乱舞しませんでした。
豊川稲荷 [神社・仏閣]
愛知県豊川市豊川町1: 今朝は豊川の本宮山に登ろうと登山口へ、豊川市に
入ると雪がチラチラ、登山口駐車場には1~2cm程の積雪(浜松では大雪)・・
駐車場には10数台駐車していましたが、躊躇なく登山を断念しお稲荷さんへ。
迎春の青々とした門松が飾られた総門は、早くも新年を迎える準備は万端・・・
商売繁盛のご利益で全国に知られる[豊川稲荷]は、日本3大稲荷の一つですが、
正式には曹洞宗の寺院で[妙巌寺]といい、約580年前に創建された名刹です。
狐の石像が奉られている霊狐塚、納の狐像をお祀りするところも今は信者
から献納された1000点以上の狐石像が所狭しと並び過密状態でした。
初山 宝林寺 [神社・仏閣]
静岡県浜松市北区細江町: 世の中きな臭くなり少しでも払拭したいと神頼み、
浜名湖[湖北5山]の1つ中国明朝風建築様式の[初山 宝林寺]を参拝しました。
初山 宝林寺は江戸時代初期の寛文4年(1664)に、旗本金指近藤家2代目当主
近藤登乃助貞用(こんどう のぼりのすけ さだもち)により招かれた明国の僧
[独湛禅師(どくたんぜんし)]により開創された黄檗宗(おうぼくしゅう)の寺院です。
5万坪を超える境内には、国指定文化財の佛殿や方丈を始め、静岡県や浜松市指定の
貴重な文化財が多数あり、遠州地方(静岡県西部)の黄檗文化の中心として栄えました。
光岩山 長楽寺 [神社・仏閣]
静岡県浜松市北区細江町気賀:[光岩山 長楽寺]は、寺伝によると約1200年前の
大同年間に弘法大師空海により創建された古刹ですが、幾度の戦いに巻き込まれ長年の
歳月を経て、漆喰が剥がれ日干し煉瓦がむき出しの土塀に歴史の息吹を伝えています。
前庭の奥にある護摩堂には、いかりの激しさで苦悩や諸悪を粉砕し災難を取り除き
正道に導いてくれるといわれる長楽寺の御本尊[馬頭観音]が睨みを効かせています。
静岡県西部の彫刻愛好家で創る[遠江円空研究会]の作品も展示されていました。
長楽寺本堂から北へ200m、旧本堂につながる約150段の石段沿いには、
約150本程の白梅が作り出す梅のトンネルがあり上から浜名湖が望めます。
秋葉山本宮秋葉神社上社 [神社・仏閣]
静岡県浜松市天竜区春野町領家: [秋葉山本宮秋葉神社上社]に参拝、大鳥居を潜り
樹齢数百年の力強い秋葉杉のパワーを浴びながら、紅葉坂の石段を上がり本殿へ・・・
途中[玄武][白虎][青龍][朱雀]の四神が睨みを効かせた[西の閽の神門]を潜り抜ける。
くぐれば開運の人気スポット、黄金に輝く[幸福の鳥居]潜ればパワーと絶景が・・・・
標高866mの秋葉山山頂近に鎮座する秋葉神社の総本宮[秋葉山本宮秋葉神社上社]。
創建は和銅2年(709)、[岐陛保神ノ社]として建立され後に時代の移り変わりと共に
[秋葉大権現][秋葉神社]と名称を変え、昭和27年に[秋葉山本宮秋葉神社上社]と改称。
宝積山 光前寺 [神社・仏閣]
長野県駒ヶ根市赤穂北割: 木曽駒ヶ岳の麓に境内を構える[宝積山 光前寺]は、
貞観2年(860年)本聖上人により開山された長野県屈指の古刹で、南信随一の
祈願霊場として広く信仰を集め、光前寺庭園や霊犬早太郎伝説・光苔等で有名です。
杉の巨木に囲まれた境内には、本堂をはじめ三門・仁王門・三重の塔・経蔵など数々の
重要文化財や県宝が点在し、境内全域が[光前寺庭園]として国の名勝に指定されている。
早太郎伝説とは、その昔遠江の国見附村(現静岡県磐田市見附)で、毎年祭の夜に
白羽の矢が刺さった家の娘を人身御供として、猿の化生[狒狒]に差し出していた。
ある日旅の僧侶が見附の村に立ち寄った際に泣き祭の事を知り、里人を救いたいと
祭の夜に様子を伺っていると妖怪が現れ、信濃の早太郎を恐れているのを知る。
僧侶は信濃の光前寺から早太郎を借り受け、早太郎を身代わりとし一夜に渡り狒狒と
激闘の末に見事退治した、深手を負った早太郎は光前寺に辿り着くと和尚に一吠えし
息を引き取ると言う話です・・・・・磐田では悉平太郎として伝説が残っています。
大山田神社 [神社・仏閣]
長野県下伊那郡下條村陽皐(ひさわ):国道151号線を飯田市方面に走行中、
[大山田神社 重要文化財]という看板が目に止まり興味津々寄り道しました。
創祀年代は不明らしいが、以前の古社によると奈良末期か平安初期に創始、
式内社・大山田神社に比定される古社、祭神は大巳貴命(大国主命)です。
覆屋の中にある3棟の社殿は、永正4年(1507)下條氏7代家氏が京より
招いた工匠吉村和泉守一門により創られたものです(中にある為に見えず)。
苔に覆われ滑る急な階段を息を切らせて登りましたが、神社の裏側には
下條氏の菩提寺である臨済宗妙心寺派の[萬松山 龍嶽禅寺]が・・・・
生憎天気は曇り空でしたが、どこか懐かしく心休まる下條村で見付けた
一面に白い花を咲かせた広大な蕎麦畑、独特の匂いが漂っていました。
本宮山砥鹿神社奥宮 [神社・仏閣]
愛知県豊川市上長山町: 豊川市・岡崎市・新城市境界部に位置する本宮山は、
東三河最高峰の山で標高は789.1m、別名を砥鹿山とも呼ばれています。
山頂近くに砥鹿神社奥宮が鎮座し古くから信仰の山として親しまれています。
本宮山砥鹿神社奥宮の創祀は社伝によると、天宝年間(1300年)以前、
昔から殖産の神・護国求人の守護神として崇敬され、明治4年の管制により
三河国唯一の国幣小社に列格された砥鹿神社の奥宮で神聖視されています。
方広寺 半僧坊 [神社・仏閣]
静岡県浜松市北区引佐町奥山: 深奥山(じのうざん)方広萬寿禅寺は、
建徳2年(1371)後醍醐天皇の皇子無文元選禅師により開創された禅寺です。
60ヘクタールの広大な境内には、本堂や半僧坊真殿・3重の塔など10余棟の
伽藍を擁し、国や県また市の有形文化財14点を所有する東海屈指の古刹です。
大正12年(1923)京都の実業家で山口玄洞氏の寄付により建立された
3重の塔、第一次大戦中に財をなしたが好景気の内に商売を手控え、戦後の
不況の折にも社業は発展したという・・・・この3重の塔は[倒産避けの塔]
として、全国から財界人や経営者がお参りに訪れるという・・・・・・?
参道脇に大小様々な羅漢様が点在する、五百羅漢は釈迦入滅後に教典編集の
第1・第4編集の際に500名の仏弟子が集まったことに由来するとのこと。
冬桜のお出迎え [神社・仏閣]
今年も残り僅かとなりましたが、拙いブログにおつき合い
下さいまして誠に有難うございました。
本年最終の記事更新となりますが、来る年が皆様に実り多き
年でありますよう、心からお祈りいたします。
山梨県南巨摩郡身延町身延:日蓮宗の総本山として知られる[身延山久遠寺]は、
今から700年以上前の鎌倉時代に日蓮上人によって開かれ、本堂・祖師堂・仏殿・
五重塔・仏像伽藍等からなる大寺院で、霊山として全国から多くの参拝者が訪れます。
久遠寺で有名な枝垂れ桜の足元で、冬の寒さにも負けず凛として咲く冬桜、
山桜と豆桜が交配した雑種ですが、力強くまるで雪が舞っているようでした。
徒歩だと2時間かかるという奥の院、見上げる身延山はあまりにも急勾配で、
躊躇することなくロープウェイを選択、久遠寺駅と山頂奥の院駅とを結ぶ
全長1665m高低差763mの身延山ロープウェイを利用し6分足らずで
一気に標高1153mの身延山山頂に到着、生憎天候が悪く富士山や駿河湾を
望むことは出来ませんでしたが眼下に日本3大急流の富士川が見えました。
室生寺 [神社・仏閣]
奈良県宇陀市室生: 室生寺は奈良盆地の東側、三重県境に近い宇田川支流の
室生川北岸にある室生山麓に建つ、真言宗室生寺派大本山の山岳寺院です。
女人禁制の高野山に対し、女性の参詣が許された[女人高野]で知られている。
数年前の早朝、近くを通りかかり立ち寄りましたが時間外のため残念ながら参詣出来ず、
室生の郷を撮り記事にしましたが、今回時間の余裕が有りのんびりとお参りしました。
内部の仏像は撮影禁止で撮ることは出来ませんが、しっかりと脳裏に焼き付けました。
多くの国宝や重要文化財の数々は[女人高野]に相応しく少々コンパクトな作りですが、
繊細で見事に周囲と調和する建造物は見事で、自然に融合する山寺は仏教美術の宝庫です。
龍門山 石雲院 [神社・仏閣]
静岡県牧之原市坂口: 当初は真言宗の寺院として治承3年(1179)に
開かれたと伝えられいる、歴史の香り漂う古刹[龍門山 石雲院]。
康正元年(1455)、当時の城主勝間田氏が崇芝性岱禅師を招いて曹洞宗に
改宗、勝間田氏没後の中興開山から今川家ー武田家ー徳川家の擁護をうける。
本堂脇の小路を10分ほど登ると、島田市と牧之原市に跨った静岡空港に出ます。
2009年6月に開港したこの空港は、[富士山静岡空港]の愛称が付いています。
空港から富士山頂まで80km、中国本土から多くの国際線が就航しています。
長楽寺の円空仏 [神社・仏閣]
静岡県浜松市北区細江町:[光岩山 長楽寺]は、平安時代初期(約1200年前)の
大同年間に、弘法大師により開創されたと言われ梅とドウダンで知られる古刹です。
本堂は老朽化のため既に解体され、江戸時代に建てられた客殿と室町時代に作られた
風情漂う山門や土塀は、長年の風雪雨に耐えた歴史の息吹を今も伝え続けています。
浜松市の天竜協動センターを拠点に活動されている[遠江円空研究会]会員様の
多数の作品が、長楽寺の庭に展示され慈悲に満ちた微笑みで迎えてくれます。
江戸時代の修行僧[円空]は、生涯に12万本の仏像を彫った言われています。
長楽寺の本堂跡に続く[梅のトンネル]、今年は開花が早かったようで
既に見頃は過ぎていましたが、老木と歴史ある自然石の石段にホッコリ。
七面山 敬慎院 [神社・仏閣]
山梨県南巨摩郡身延町: 身延山地の中で最高峰の七面山は、法華経の
聖地として知られ登詣は非常に険しい参道を越えて行く苦行を伴います。
車道はなく、表参道か裏参道のどちらかを利用しなければ辿り着けません。
法華経の信者ではありませんが、今回無謀にも挑戦してみました。
前夜は驚くほどの豪雨、朝は登山口までの道路は閉鎖されたようですが、
前日登山口付近に宿泊していたため登山決行、登山者は無く雨は止み酷いガス。
参道は綺麗に整備されてはいるものの体力に問題が・・・・4時間少々かけ
青息吐息でやっと和光門に到着、標高1982mの七面山山頂に近い平坦地に
身延山久遠寺に属する七面山敬慎院(標高1700m付近)があります。
伽藍は七面大明神を祀る七面山本社、東向きで富士山に向かって建てられ
一の池を背にした七面造りと言われる独特の様式の見事な建造物です。
(ガスのため富士山は見えず)
さてさて下山が心配・・・・上りで筋力使いすぎた。
秋葉山総本山秋葉寺(しゅうようじ) [神社・仏閣]
静岡県浜松市天竜区春野町領家: 台風襲来の前日、来週末に予定している
軽登山に向けての足慣らしと体力確認の為、秋葉寺(しゅうようじ)に参詣。
九里橋を渡り数軒の古民家前のコンクリート製石畳(急勾配)を登ります。
登り切ると参道は杉木立の中へ、整備された細く険しい山道に入りますが、
割と歩きやすく標高が100m上がる毎に小さな標識が立っていました。
※後は同じ様な景色ですので画像は省略(実は疲れてカメラはリュックの中)
秋葉山秋葉寺(しゅうようじ)は、行基菩薩により養老2年(718年)に
開基されたと言われ大登山霊雲院と称したそうですが、後に戸隠教釈院で生れ
越後長岡で修行したと伝えられる三尺坊により今の寺名に改名されとのこと。
明治の初期、内部抗争やご住職の病没などにより廃寺を強いられ、三尺坊の
ご遺体は袋井市の可睡斎に移すと同時に、山頂に神道系の秋葉神社を建立。
可睡齋や秋葉神社と比較して明らかに荒廃しているとはいえ、秋葉信仰の最古の
霊場としての古式を残し、今も熱心な信者の方々により信仰は継承されています。
※三尺坊とは不動三昧の修行をし、飛行自在の神通力を得た観音菩薩の
化身といわれる、天狗の姿をした火防(ひぶせ)の神。
霊犬早太郎の眠る寺 [神社・仏閣]
長野県駒ヶ根市赤穂: 中央アルプス木曽山脈の麓に位置する[宝積山 光前寺]。
貞観2年(860年)本聖上人によって開山、不動明王を御本尊とする光前寺は
天台宗信濃五山の一つに数えられ、境内全域が国の指定公園になっています。
背後の山から引水する竜門式滝石組は見事に周囲の景観に溶け込み、
大覚禅師式庭園として多くの人々に高く評価されています。
遠江国見附村(現静岡県磐田市)において、毎年白羽の矢が立てられた家の娘を
生贄として捧げる人身御供の悲しい習わしがあり、村人は困り果てていました。
祭りの夜、旅の僧がその怪物が老ヒヒであるのを見とどけ、次の年に光前寺で
飼われていた山犬を借り受け、娘の身代わりとなり壮絶な戦いの末見事退治。
その戦いで深く傷ついた[早太郎]は、光前寺に辿り着くと息を引きとる・・・
本堂脇には早太郎が祀つられ、この話が縁で駒ヶ根市と磐田市は友好都市を結ぶ。
秋葉山本宮機は神社上社 [神社・仏閣]
静岡県浜松市天竜区春の町: [秋葉山本宮秋葉神社上社]は、天竜川沿いの
国道152号線から急勾配の林道を6Km程登った、標高866mの秋葉山山頂に
鎮座する神社で、日本全国に存在する秋葉神社の信仰の起源となった神社です。
裏参道の先にある西の闇の神門には、天空の四方を守る霊獣として知られている
青龍・朱雀・白虎・玄武の見事な彫り物が東西南北をしっかりと守っています。
古来より火防(ひぶせ)信仰や開運の神として広く全国から信者が訪れ
特に火を扱う職業の参拝者がお参りとお礼にやってくる神社でもあります。
山頂からの眺望は素晴らしく好天の日は、浜名湖や太平洋まで望めます。
千葉山 智満寺 [神社・仏閣]
静岡県島田市千葉: [千葉山 智満寺]は、標高496mの千葉山中にある
比叡山延暦寺を総本山とする天台宗の寺で、千手観世音菩薩像を本尊としています。
仁王門は慶長年間、徳川家康によって造営されたもので、左右には木造の迫力ある
金剛力士像一対が安置されている和様寄棟造り茅葺きで、静岡県指定建造物です。
寺伝によると宝亀2年(771)に、光仁天皇の勅願により創建された古刹です。
開創当時に大伽藍は火災にあい消失、源頼朝の命により再建、以後は今川氏・
徳川氏から帰依を受け、手厚く保護をされました。
乾徳山 恵林寺 [神社・仏閣]
山梨県甲州市塩山小屋敷: [乾徳山 恵林寺]は、鎌倉時代末期の
元徳2年(1330年)夢窓国師によって創建され、
戦国武将武田信玄が菩提寺として定めた臨済宗妙心派の古刹です。
参道を上った所にある四脚門(赤門)は、織田信長により全山焼かれた後に
徳川家康により再建された当時のもので、国の重要文化財に指定されています。
[心頭滅却すれば火も自ら涼し]という、快川和尚の辞世の句で知られる
[三門]は、武田氏を滅ぼした織田軍が、快川和尚と約百人の僧侶を封じ込め
火を放った際、火定を遂げた和尚の壮絶な最後の一句です。
3つの門を潜った先に聳える開山堂には、夢窓国師・快川和尚・
末宗和尚の三像が安置されており、家康再建の後は五大将軍綱吉の
側近となった柳沢吉保が、信玄の法要を行うと共に寺内の修復を行う。
府八幡宮 [神社・仏閣]
静岡県磐田市中原: [府八幡宮]は、奈良時代に櫻井王が遠江(とおとうみ)
国司として赴任された折、国内がよく治まる様に建立したと伝えられています。
寛永12年(1617)に建立された楼門(ろうもん)は、入母屋造りの
美しい随身門で、昭和58年に建立当時の杮葺きの屋根に葺き替えられ、
平成26年~27年に大規模な解体保存修復工事が行われました。
三間社流れ造りの[本殿]は、元和3年(1617)、拝殿と幣殿は
寛永12年に建立されました。
府八幡宮の例大祭は、10月の第1土曜日と日曜日に斎行され、氏子各町内の
趣向を凝らした16台の山車が威勢の良い掛け声と共に引き回されます。
7日の午後に、命魚奉献の儀(めいぎょほうけん)という珍しい神事が行われます。
池宮神社 [神社・仏閣]
静岡県御前崎市佐倉:[池宮神社]の歴史は古く敏達天皇13年6月(584年)、
瀬織津媛命(せおりつひめのみこと)が桜ヶ池に出現され、それを縁起に創建。
後は栄枯盛衰が激しく、平安時代初めに衰退したが長保3年(1001)に再興、
室町時代には今川氏の崇敬を受けましたが、戦国時代に武田・徳川両氏の高天神城
争奪の地となり、社殿や神宝・旧記・古文書の大部分を焼失し、江戸時代に
徳川家の崇敬を受け地頭の祈願所となり、天文4年(1739)に拝殿を造営した。
秋の彼岸中日に行われる[お櫃納め]、昔比叡山の名僧皇円阿闍梨(こうえんあじゃり)
が、人々救済の教えを授ける為、自ら龍となって池の底に沈みました。
それを供養するため弟子の法然上人が、赤飯を詰めたお櫃を池の底に沈めたことが
由来で、以来800年以上続く、静岡県の無形民俗文化財です。
八百富神社 [神社・仏閣]
愛知県蒲郡市竹島町 : 竹島は岸から約400mの三河湾上に浮かぶ小島で、
島全体が八百富(やおとみ)神社の境内、国の天然記念物に指定されています。
八百富神社の歴史は古く、養和元年(1181年)藤原俊成卿が勧請創建したと
言われ、地元では竹島弁天と呼ばれ祭神は市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)、
開運・縁結び・安産の神として知られ、日本七弁天の一つに数えられています。
渭伊神社 [神社・仏閣]
静岡県浜松市北区引佐町井伊谷に鎮座する[渭伊神社]は、井戸や
井水を祭祀対象とした神社で、南北朝時代に龍潭寺境内から
清流神宮寺川の辺りの現在地に移転したと言われています。
本殿の背後にある薬師山の頂上に位置する[天白磐座遺跡]は、
群在する巨石群を神の磐座(いわくら)とし、4世紀後半から
平安時代に至る古代祭祀遺跡で、我が国屈指の規模です。
西山 本門寺 [神社・仏閣]
静岡県富士宮市西山の[西山 本門寺]は、康永3年(1344年)に
日蓮上人の高弟・日代上人により開創され、駿東地方に所在する
富士門流の富士五山の一つに数えられる広大な敷地を持つ古刹です。
西山 本門寺の18世住職・日順上人の父[原宗安]が[本能寺の変]の際、
戦死した自分の父[原胤重]と兄[原清安]の首と共に、[信長公]の首を
本門寺まで持ち帰り、魔除けの柊を植え首塚に葬ったと言われています。
医王山 薬王院 油山寺 [神社・仏閣]
静岡県袋井市村松:[油山寺]は、大宝元年(701年)今から約1300年前に、
行基大士が万民和楽・無病息災を祈念し開山した真言宗の古刹で、特に目の守護・
眼病平癒の仏様として、広く全国から信仰を集めています。
例年11月下旬から12月上旬頃、境内のカエデ約1000本が
見頃となり、美しい紅葉の景色を心ゆくまで堪能出来ます。
桃山期の3名塔の一つと言われる[三重の塔]は、源頼朝が眼病全快の
お礼として建立されたもので、国の重要文化財に指定されています。
紅葉の鳳来寺 [神社・仏閣]
愛知県新城市門谷 : 5度訪れる鳳来寺、この日はモミジ祭りということも有り
早朝にもかかわらず多くの車とシャトルバスが運行されていました。
ちょうど[さわやかウォーキング]が催されているようで、沢山の年配ウォーカーが
意気盛んに闊歩するのに刺激され、こちらもつられてイザ出陣・・・・・
麓から1425段の石段が続く参道は、最初は比較的に緩やかですが、
長年風雨に晒され土が削られている為、石が吐出し非常に歩きずらい。
杉の巨木の中に、紅葉にも引けを取らない鮮やかな朱色の[仁王門]は、
国の重要文化財で慶安4年(1651)に徳川家光により建立された。
愛知県の県鳥である[コノハズク]が棲息している事で知られる鳳来寺山。
1300年前に利修仙人が開山したと言われる霊山の中腹に鳳来寺があります。
樹齢800年と言われる[傘杉]を過ぎた辺りから階段は徐々に急になり、
何度何度もたちどまり休憩、ベテラン(年配)ウォーカーの健脚に関心する。
神の山 戸隠 [神社・仏閣]
長野県長野市戸隠: 戸隠山の麓に創建以来2000年の歴史を刻む社は、
奥社・中社・宝光社・九頭龍社・火之御子社の五社からなる神社です。
中社のご祭神は、天八意思兼命(あめのやごころおもいかねのみこと)で、
岩戸神楽(大々神楽)を創案し、岩戸を開くきっかけを作られた神です。
奥社:ご祭神は天手力雄命(あめのたぢからおのみこと)で、日本神話にある
天照大神が天岩戸にお隠れになった時、無双の神力をもって天岩戸を
お開きになった、天手力雄命を戸隠山の麓に奉斎した事が始まりでした。
長い参道の中程に[隋神門]があり、その先には樹齢400年以上の
杉並木が続き、真に神の山・神の森の神域を体感できます。
奥社参拝後、立ち込めていた霧が徐々に晴れ見事な紅葉に包まれました。
諏訪大社上社 [神社・仏閣]
長野県諏訪市中洲宮山:[諏訪大社]は、諏訪湖周辺に4ヶ所の境内地を持つ
神社で、日本最古の神社の1つで日本国土の守護神としてこの地に鎮座し、
全国25、000社余りも有る、諏訪神社の総本社です。
幣拝殿と片拝殿のみで、本殿を持たない[諏訪造り]という独特の様式の大社は、
貴重な建造物が多く残っており、6棟が国の重要文化財に指定されています。
市指定の神楽殿は、4方向すべて吹き通しで入母屋造りの大きな屋根が架かっており、
中に置かれている龍神が描かれた一枚皮の大太鼓は、国内最大級との事。