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熊谷家住宅 [古民家]

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※台風14号の為、撮影に出られず以前撮った画像を載せます。



愛知県北設楽郡豊根村黒川: 遠江の佐久間町から大入り川沿いに新野峠へ向かう


中馬街道の脇道に、信濃の国より土着した初代[熊谷玄蕃]が開いたと言われる黒川。


[熊谷家]はこの山間部にて代々庄屋を務め、現在は20代目の格式ある古い家柄で、


かつては造り酒屋を営んでいた、当時の豪農の佇まいを伝える建物は、18世紀初頭の


建築で、昭和49年2月(1974年)に国の重要文化財に指定されています。



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木曽馬の里 [古民家]

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長野県木曽郡木曽町開田高原: 江戸時代から大馬主として木曽谷3大馬主の


ひとつに数えられた山下家の祖先は、飛騨高山藩の馬奉行に仕え[伯楽]と


呼ばれた馬医で、山下家は木曽馬の馬主として最盛期には300頭もの木曽馬を


飼育し農家へ貸し出し、農家は農耕馬として使用しながら仔馬を繁殖させていた。


仔馬は木曽福島の馬市へ出し、売価の1/4は農家・3/4が馬主の山下家の分配と


された馬の小作制度を用いて、毎年100頭近い仔馬を販売し財を成しました。



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御嶽山の東山麓に広がる開田高原、標高1100mの高原の美しく雄大な大自然


の中で、日本古来種の木曽馬が暮らす[木曽馬の里]、乗馬体験も出来ます。


天気次第で放牧されている小柄で胴長短足の愛くるしい木曽馬を眼前で見えます。



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古民家ギャラリー神谷家 [古民家]

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岐阜県恵那市岩村町富田:東から西へ緩やかに傾斜した岩村盆地。


眼下に広がる田園には、瓦屋根に白壁の大きい農家と蔵が点在し、


[農村景観日本一]の称号に相応しい美しい田園風景を一望出来ます。



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その田園の一角に所在する[神谷家]は、築250年以上の古民家を改装、


書道家のご夫婦が、書のギャラリーとカフェを経営しお客様に善意で開放。


屋内には夥しいご主人自筆の優雅な書と、数々の骨董品が展示されていて、


心静かに作品に目を通し思いを馳せると共に、寛げる空間が創られています。



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廻船問屋 清水家 [古民家]

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静岡県掛川市大須賀町・江戸時代に廻船問屋を営み、藩の御用達を勤めるなど


繁栄した旧家[清水家]、湧水を巧みに取り入れた回遊式庭園は見事です。



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横須賀城は、戦国時代末期に東方の武田軍と西方の徳川軍の勢力争いの


最前線として有名ですが、天正9年に徳川軍が武田軍を下してから


明治維新の廃城となるまで、約300年余り繁栄しました。



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旧高野家住宅 [古民家]

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 山梨県甲州市塩山、中央本線塩山駅前に所在する[高野家]は、江戸時代初期頃より
 
薬用植物の甘草を栽培し幕府に納めていた家で、古くから[甘草屋敷]と呼ばれていました。
 
 
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19世紀初頭に建築されたと伝えられている住宅は、南面中央に突き上げた屋根を設けた
 
茅葺き型銅板葺き(昭和35年の修理で保存の為に茅葺きから銅板葺きに改修)の
 
大型民家で、切妻造りの美しい建物で重要文化財に指定されています。 
 
 
 
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※これらの画像は一ヶ月前に撮ったものです。 
 
 
 
 

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旧糟谷邸 [古民家]

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 愛知県西尾市吉良町萩原の[糟谷家]は、江戸時代を通じてこの地方の地主として
 
また地場産業であった[三河木綿]の総問屋を営み栄えた旧家です。
 
代々縫右衛門(ぬいえもん)を名乗り、領主の大多喜藩(千葉県)大河内松平家の
 
御用達頭取として、苗字帯刀を許されていました。
 
 
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 永正2年(1505)に、初代重賢が萩原村に移住し帰農したとされ、以後14代重義が
 
昭和56年に没するまで、470年間にわたって当地に在住していました。
 
 
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 庭園は、幕末に親交のあった尾州久田流の久田栄甫によって表千家
 
[残月の間]の写しが建てられ、全体が茶庭化しました。
 
 
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主屋・長屋門・土蔵・屋敷神等の建物が現存し、長屋門は糟谷家が御用達を務めた大多喜藩の
 
小牧陣屋(吉良町小牧)から移築したといわれ、武家屋敷の風格が漂っています。
 
 
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天竜川筏問屋・田代家 [古民家]

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静岡県浜松市天竜区二俣町鹿島の[田代家]は、江戸時代に北鹿島村の名主と
 
渡船場船越頭(とせんば ふなこしがしら)を務める一方、重要な交通路であった
 
天竜川の上流で産出される木材の搬出を筏(いかだ)流しで行う
 
受け継ぎ問屋も経営し、長年に渡りたいそう繁栄した旧家です。
 
 
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天竜川を上下する船筏とその積み荷に、十分の一を課税した幕府の
 
[拾分一番所]の役人や請負人をしたことも有り、名主としての住居と共に、
 
番所の意味合いから[冠木門]がおかれています。
 
 
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 天正8年(1580)・2代目、九郎左衛門の子 孫丞(まごのじょう)の時、徳川家康の
 
遠州経略に協力したために、天竜川の筏川下げと諸法度免除の御朱印を与えられました。
 
主屋は安政6年(1859)に建築されたものです。
 
 
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釜屋建て・望月家住宅 [古民家]

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愛知県新城市黒田に所在する[望月家]は、武田家の家臣で[長篠の戦い]に敗れた後、
 
長野県望月町には帰らず現在地に土着したのが先祖と言われ、江戸時代は薬問屋を
 
営み、明治には木挽きをしていたとつたえられています。
 
 
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 望月家は豊川及び天竜川流域にかけて分布する、主屋と釜屋の2棟からなす
 
分棟型民家で、この地方では[釜屋(かまや)建て]と呼ばれ、
 
[望月家]は元禄2年(1689年)頃建築され、現存する建物としては最古のものです。
 
 
昭和49年に国の重要指定文化財に登録されました。
 
 
 
 
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大鹿村・松下家 [古民家]

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長野県下伊那郡大鹿村 
 
 
中央構造線に沿って流れる青木川沿いの秋葉街道より、急勾配の山道を登ること10分、
 
山あいの開けた引ノ田集落に、切妻大屋根造りの建物が突然目に飛び込んできます。
 
 
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 戦国時代から続いた豪族の松下家は、現在は国の重要文化財で豪農の住居として
 
保存されていて、その質も非常に良く素晴らしい旧態をとどめていました。
 
 
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予約をしていない為(施錠している)に屋内には入れず、裏庭を見学・・・・・
 
雑草は綺麗に刈り取られていしたが、庭木の手入れまで手が回らない様子。
 
 
それでも木槿が主のいない館で、時の流れを見つめていました。 
 
 
 
 
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相良・大鐘(おおがね)家 [古民家]

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 静岡県牧之原市片浜・・・相良は江戸時代より城下町として栄え、田沼意次の
 
城があったことでも名が知れています。
 
慶長2年(1597)柴田勝家の家臣、越前(福井県)丸岡城家老[大鐘籐八郎貞綱]が
 
遠州相良に移住、江戸初期には旗本3千石の格式を持ち、18世紀初めに
 
大庄屋となり、大鐘家の館を築き上げました。
 
 
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 黒松の太い梁が何双にも組まれた重圧感のある主屋は、18世紀初頭の建立で切妻造り、
 
明治以前は茅葺き屋根だったそうですが現在は瓦葺き、建坪160坪(528㎡)
 
部屋数は15室、現当主(23代目)の住居として使用されています。
 
季節毎に行事が催され丁度[あじさい祭り]の真っ最中、屋内には地元の
 
作家による木彫りの作品も展示されていました。
 
 
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保存民家 細川家住宅 [古民家]

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 愛媛県東部、石鎚山系の東側に海岸線から急に粗反り立った標高1500~1700mクラスの
 
山々が並ぶ赤石山系、法皇山脈を走る[別子翠波はな街道]沿い[てらの湖畔広場]内に佇む
 
細川家住宅は、明治15年(1882)寺野地区に建築された茅葺き民家です。
 
 
昭和62年富郷ダム建設に伴い、寺野地区が水没地となるに至り、茅葺き屋根民家を
 
保存する事となり現在の広場へ解体移転しました。
 
この住宅は、旅籠としても利用されていた為に一般農家とは異なった特色をもっています。
 
 
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 紙の町として臨海部に製紙工場が集積している旧伊予三島市は、愛媛県東予地方に
 
あった市ですが、2004年の市町村合併により四国中央市となりました。
 
 
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※この画像は、2014年11月初旬に撮影しました・・・・・ 

渡部家住宅 [古民家]

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 愛媛県松山市東方町に所在する渡部家住宅、もともと渡部家は現在の
 
愛媛県東温市南方(旧川内町南方)代々庄屋を務める家柄でした。
 
 
江戸時代末期に現在の松山市東方町(旧荏原村)において、年貢米が松山藩に上納されない
 
状況となり、松山藩主の君命により当時の南方渡部家の3男渡部操長綱(みさお ながつな)が
 
村経営立て直しのため、入り庄屋として天保15年(1844)にこの地に分家、村再建に成功した。
 
 
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 この建物が建てられた江戸時代は士農工商の時代であり、侍の家は瓦葺きで百姓の家は
 
茅葺きが原則であり、渡部家は越屋根を茅葺きとして、農家で有ることを象徴しています。
 
 
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 珍しい唐破風の屋根と庄屋の財力と威厳を示す、玄関土間の上の太い梁
 
 
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この建物は昭和45年(1970)国により重要文化財に指定されました。
 
 
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旧山中家住宅 [古民家]

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愛媛県上浮穴郡久万高原町上黒岩に、昭和50年(1975)に旧別子村より移築復元された
 
[旧山中家住宅]は、江戸時代中期の18世紀中頃に建築されたと推定される、入り母屋造りの
 
茅葺き屋根ので、国の重要文化財に指定されています。(指定は、移築前の昭和45年)
 
 
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四国地方の山間部に多く見られる、一列に大きく三分割された間取りは、地形を有効利用し
 
建物の狭さをカバーし、合理的な生活空間を創っています。
 
 
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庄屋屋敷[土居家] [古民家]

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 愛媛県西予市野村町惣川(そうがわ)、かつて伊予と土佐を結ぶ街道の宿場として
 
栄えた、雲湧き星降る旧惣川村の山里に残る庄屋屋敷[土居家]は、
 
江戸時代後期、文政10年(1827)の建築と伝えられています。
 
土居家は、四国に現存する茅葺き民家の中では最大級といわれ、茅葺き入り母屋造りで
 
間口12間(約25m)奥行き6間(約12m)高さ13m建坪約90坪と
 
標準的な茅葺き民家の約4倍の大きさです。
 
 
※訪問時に屋根の葺き替え中の為見学出来ず、内部は一部のみ掲示です。
 
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敷地内には、明治時代に実在した茶室を復元し、茶会や句会・川柳・写真等の
 
各種発表会や展示会にも使用できるそうです。
 
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 同市宇和町明間の[観音水]は、歯長峠に近い杉林の斜面にある鍾乳洞から、
 
日量8,000トンの湧水(弱アルカリ性)で、肱川に注いでいます。
 
昭和60年(1985)に、名水百選の1つに選定されました。
 
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西湖いやしの里 [古民家]

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 山梨県南都留郡富士河口町、西湖畔の西北に位置する根場(ねんば)地区は、
 
かつて[かぶと造り]の茅葺き屋根が立ち並ぶ、日本一美しい集落でしたが、
 
昭和41年の台風災害により甚大な被害を受け、集落の殆どが消滅しました。
 
 
40数年の歳月を経て、茅葺き屋根群と霊峰富士の景色が蘇りました。
 
 
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 20棟の茅葺き屋根が立ち並び、それぞれの建物では、伝統工芸の体験学習やギャラリーの見学
 
地場特産品の販売、喫茶や食事など楽しみながら、爽やかな風と日本の長閑な農村風景に癒されます。
 
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庄屋屋敷・加茂荘 [古民家]

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 静岡県掛川市原里の[加茂花菖蒲園]には、1ヘクタールの広々とした園内に、およそ1,000品種
 
100万本の色とりどりの花菖蒲が、梅雨の晴れ間に輝き、夢のような光景が広がっています。
 
 
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加茂家は桃山時代から続く庄屋で江戸中期、享保の頃から小作地が増え、江戸末期の
 
弘化の頃には64名の小作人を擁する等1級の地主となる一方、掛川藩の
 
地方御用達として、公認の金融機関としての役割を担っていました。
 
 
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旧小笠原家書院 [古民家]

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 長野県飯田市伊豆木[旧小笠原家書院]
 
伊豆木小笠原家は、中世松尾に居城した、松尾小笠原家の後裔です。
 
慶長5年(1600)、徳川家康より初代小笠原長巨が、伊豆木において秣料千石を賜り、
 
この地に居館を構え、以後代々ここに居住しました。
 
その居館は小型の城郭をなしていましたが、明治初年帰農の際に、大半の建物は
 
取り壊され、書院のみが残されました。
 
現書院は、寛永初年(1624)頃に初代長巨が建立したものです。
 
 
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 書院は居館の中でも、接客に用いられた最も重要な建物で、南側が崖上に突出した縣造りの
 
書院は全国的にも珍しい建造ですが、城郭の書院らしい構造です。
 
 
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 格式の高い書院であるとともに、地方豪族らしい質実剛健の趣が強く残る重要文化財です。
 
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中村家住宅 [古民家]

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静岡県浜松市西区雄踏町宇布見に所在する、中村家の初代中村正範は、源頼朝の実弟である
 
範賴の末裔の武士で、大和国広瀬郡中村郷に住んでいました。
 
文明13年(1481)に、14代正實(まさざね)が今川氏に招かれ、遠江国磐田郡大橋郷に
 
領地を賜りその後、敷知郡和田・平松・宇布見・山崎・大白須の5ヶ荘が与えられ、
 
16世紀の今川時代には、同氏の家臣として代官職を勤め、浜名湖の軍船を支配していました。
 
 
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 江戸時代、式台や玄関と同じように、一定の格式ある家に建てられたもので、
 
安永4年(1775)、屋敷南側に建築されたが、その後に屋敷南側に移設された。
 
 
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 重要文化財に指定されている主屋は、約3,000㎡の屋敷の中央に建つ、寄棟造り茅葺き平屋建
 
の建物で、規模は間口21,3m・奥行11,2m平面積238,7㎡の大規模な造りです。
 
茅葺きの材料は葭葦(よしがや)を使用し、僅かに丸みをつけた屋根が美しい。
 
 
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 胞衣(えな)塚は、天正2年(1574)2月8日に、徳川家康の側室[お万の方]が家康の第2子である
 
於義丸(後の結城秀康)を、当屋敷で出産した時の胞衣(後産)を埋めた現存している塚です。
 
貞享(じょうきょう)5年頃、江戸で制作された石燈籠は、日本橋に住んでいた中村清兵衛から
 
海上輸送により、中村家に贈られたものです。
 
 
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友田家住宅 [古民家]

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 静岡県周智郡森町亀久保の山間部にある[友田家住宅(国指定重要文化財)]、友田家の由緒は
 
はっきりしていませんが、江戸時代には代々庄屋を勤めた旧家であり、
 
建築年代は18世紀前半と推定されています。
 
言い伝えによれば元禄13年(1700年)に同家の南隣接地から移転したといわれています。
 
 
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後世の改造は少なく、台所の一部を土間とし、広間を二室に分けた他は
 
建具や造作を改変した程度で、当時の面影を濃く残しています。
 
 
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森町間詰の吉川沿いにある[アクティー森]は、整備された38,000㎡の敷地内に、陶芸や紙漉き・草木染め
 
などを体験できる工房や野外イベント広場・テニスコート・パターゴルフなど楽しめるレクレーション施設があり
 
四季折々の豊かな自然に囲まれたなかで、余暇を満喫することが出来る体験型パークです。
 
 
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三州足助屋敷 [古民家]

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 愛知県豊田市足助(あすけ)町に在する[三州足助屋敷]は、消えゆく昔の風景や暮らしを
 
提供すると共に、昔の技術の伝承を目的とし、1980年に開館した観光施設です。
 
生活に必要なものは自分で作るという、昔なら当前の生活スタイルに触れることが出来ます。
 
 
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昭和30年代の豪農の母屋をモデルに再現した、竹の骨組みと茅葺き屋根の
 
大きな建物の中では、昔ながらの山里の暮らしを見ることが出来ます。
 
 
 
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生活に欠かせない水をくみ上げる井戸や、くらしを支える動力源として米や麦など精米に
 
使われた水車、壁が竹の骨になっていて、厚さ24cmの土壁で出来た土蔵。
 
 
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足助屋敷では、機織り・藍染・わらぞうり作り・竹とんぼ・紙すき・竹細工・五平餅作りの
 
体験実習ができますが、実習項目により料金や定員だ限定されるものがあるそうです。
 
 
 
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豊根村 熊谷家 [古民家]

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 愛知県北設楽郡豊根村の熊谷氏宅は、天竜川支流大入川の中流部の山間に位置する。
 
この場所は遠江の佐久間から大入川沿いに上がって津具ー根羽ー金城から
 
新野に向かう中馬街道の脇道として、重要な道番所でした。
 
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熊谷家はかつて造り酒屋を営むと共に、山間部庄屋を務め現在20代目を
 
継承している古い家柄です。
 
建造年代を推測する資料としては、寛保4年(1744)以降の祈祷札が残っており、
 
建築年代は18世紀前半であろうと推測されています。
 
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飛騨の里 [古民家]

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飛騨の各地から、豪雪に耐えてきた貴重な民家や生活用具を、文化遺産として後世に伝えるため
 
[飛騨民俗村・飛騨の里]が、昭和46年(1971年)に岐阜県高山市上岡本町に開村しましおた。
 
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 旧中藪家住宅(左)は、現高山市一之宮町山下にあった、飛騨地方中央部特有の民家で
 
江戸中期以前の建築と考えられます。
 
旧若山家(右)は、現高山市荘川町下滝にあり。荘川造りといわれる入母屋造りから白川村
 
 の合掌造りに移行する構造が見られ、合掌造りの発展を残している建物です。
 
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旧田口家は、現下呂市金山町にあり、代々庄屋をつとめた家柄で文化6年(1809年)
 
に建てられました。飛騨地方南端にあった為、積雪の重みに弱い構造です。
 
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 旧八月一日(ほずみ)家(左)は、現高山市荘川町にあった西願寺の庫裏(くり)として
 
江戸時代末期に建てられたものです。
 
旧富田家(右)は、現飛騨市神岡町」にあり、越中東街道筋の問屋を家業とし、
 
江戸時代末期に建てられました。
 
 
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城下町・岩村 [古民家]

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 岐阜県恵那市岩村町は、江戸時代岩村藩の城下町として栄えました。
 
岩村には、たくさんの歴史的建造物が立ち並び、東西延長約1.3km、面積14.6haの細長い地区は
 
重要伝統的建造物群保護地区として、平成10年に国から選定されました。
 
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岩村町は、800年の歴史のある城下町であり、悲劇の女城主の舞台となった町です。
 
女城主にちなみ、軒先の青のれんには女主人の名前が書かれ、旅人を饗しています。
 
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江戸時代末期から順次形成され、明治39年(1906)の岩村電気鉄道
 
開通とともに、発展してきました。
 
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安藤家住宅 [古民家]

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山梨県西八代郡三郷町市川大門は、甲斐源氏発祥の地として知られています。

[ひらしお源氏の館]は、この平塩の岡に、正倉院で知られる校倉風を取り入れた外観で、

日本伝統の木造建築の、技術を生かした美しい建物の施設が建っています。

メインポールには、百年杉をそのまま使用し、木の力強さを表現しています。

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山梨県南アルプス市西南湖に所在する[安藤家住宅]は、甲府盆地南西部の釜無川と

滝沢川に挟まれた、水田地帯に位置し、国の重要文化財に指定されています。

安藤家の先祖は、武田氏の家臣と言われ、かつては小尾の姓を名乗っていました。

武田氏滅亡後は、一時徳川家に仕えた後、現在の甲府市に帰農して、

母方の安藤の姓を名乗り、宝永5年(1708)に現在の地に居住しました。

江戸中期以降は、西南湖村の名主を努めた旧家で高田新田を治めていました。

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庄屋屋敷大箸家 [古民家]

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静岡県磐田市壱貫地に所在する[花咲乃庄]は、現存する建造物7件全てが、

平成20年3月7日、国の有形文化財として登録されました。

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大箸家は江戸の終わり頃、磐田市壱貫地で造り酒屋を営み、当主大箸藤次郎は

天保初年に家督を継ぎ、嘉永2年には庄屋を勤めました。

現在の当主は藤次郎の孫、大箸晴康氏で、この貴重な屋敷を整備し、多くの人が

[故人の智恵に学び、自らの花を咲かせる発展の基礎となること]

を願い、ここを花咲乃庄と名付け、一般公開しました。

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2階の多目的ギャラリーでは、季節の催し物やイベント又展示会が開催されています。

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大箸酒造は江戸末期天保の時代から、昭和40年頃まで続き

[男山][錦鷹][鷹政宗][福泉]など数々の銘酒を造りました。

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加茂荘・花菖蒲園 [古民家]

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静岡県掛川市原里の加茂家は桃山時代からの庄屋で、当地(遠州佐野郡桑地村)の

過半を占める極めて有力な庄屋でした。江戸中期頃より

小作地が増え、江戸末期弘化の頃には64名の小作人から566俵を収納した

記録があり等一級の地主でしたが戦後の農地改革で

50町歩の耕作地を失いました。

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庄屋時代の加茂家は国学、和歌などに熱心で文人墨客の

往来が盛んであったようです。

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安永2年の建築から240年の時を刻む全面 池の裏庭

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花菖蒲園の敷地内に3000㎡の多目的温室があり、

喫茶 飲食コーナーでは 、花の香りに包まれ食事が出来ます。

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開通したばかりの新東名高速道路

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茅ぶきの里 [古民家]

愛知県岡崎市千万町町(ぜまんじょうちょう)の県道333号線沿いに昭和初期の

農山村の原風景を残した1画がある。

同町に1軒だけ残っていた、かやぶき家屋を町おこしにと改修したもので

納屋や蔵、裏山の棚田などが管理保存されている。

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NHKの朝ドラマ[純情きらり]のロケ地にもなり訪れる人々を戦前へと

タイムスリップさせる。

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いやしの里根場(ねんば) [古民家]

西湖の西北に位置する根場(ねんば)は、かつて日本で最も美しい[兜造り]の

茅葺きの民家が立ち並ぶ集落でしたが、昭和47年の台風で甚大な被害を

受け集落のほとんどが消滅してしまった。

40数年を経て[いやしの里]として蘇り、時空を越えて昔懐かしい

茅葺き屋根群と不動の富士山で癒される。

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爽やかな風を感じながら格別の富士山を望みながら

癒しの空間を満喫する。

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