美濃歌舞伎博物館 [博物館]
富士吉田市民族博物館 [博物館]
浜松市楽器博物館 [博物館]
スズキ歴史館 [博物館]
エアーパーク(航空自衛隊浜松広報館) [博物館]
駒ヶ根市郷土館 [博物館]
遠州の小京都・森町 [博物館]
遠州の小京都と呼ばれる、静岡県周智郡森町は、三方を小高い山に囲まれ、
中央を[太田川]が流れ、数多くの神社仏閣が点在し、
永い歴史と溢れる自然に包まれた、人の心を豊にする町です。
森町立[歴史民俗資料館]は、明治18年(1885)に、周智郡役所として現在の
森小学校南部に建てられ、大正15年(1926)まで周智郡行政の拠点として
使われていました。森小学校拡張の為に解体されたものを、町内の有志で
組織された[旧郡役所保存会]の尽力で、現在地に移築復元されました。
館内には、町内の皆さんから委託された、生活用具や農具・古文書等約1000点が
展示され、森町の歴史や当時の人々の、生活文化を知る事が出来ます。
八形山 蓮華寺(はっけいざん れんげじ)は、慶雲元年(704)の創建で、森町で
最も古い寺院です。全盛期には、坊舎が36もあったと伝えられるこの寺には、
木喰五行上人晩年の傑作[子安地蔵尊]等があり、[萩の寺]としても有名です。
この城がいつ築かれたかについて、はっきりした資料は見当たりませんが、天方(あまがた)氏
代々の居城で、戦国時代に、今川、徳川、武田の攻防戦が繰り広げられました。
城跡は展望台、公園として整備されています。
金原明善生家 [博物館]
金原明善は、1832(天保3)年6月7日、長上郡安間村(現浜松市東区安間町)の
酒造と質屋を営んでいる、大地主の金原家の長男として誕生。
明善さんと言えば・・・・・度重なる[暴れ天竜]の氾濫に心を痛め、人々を守る為
堤防修築に命と全財産を投げ出し、また天竜川上流の山への植林事業等、
民心安定と産業復興に、その生涯を捧げました。
明善さんが生涯貫いた生き方・考え方[三つの信条]
1・實を先にして名を後にす.
1・行を先にして言を後にす.
1・事業を重んじて身を軽んず.
庭園に出ると深く澄んだ妙音・・・・・・・江戸時代に庭師が考案したといわれる
[水琴窟]が妙なる音を生み出していました。
シルクロード・ミュージアム [博物館]
静岡県磐田市上野部の静寂な田園地帯の一角に、江戸初期(約365年前)に建てられた
豪農の家を大規模な増改築を繰り返し、つい最近まで住まいとして使用していたものを、
大々的に改築し、2008年1月に浜名梱包輸送シルクロード・ミュージアムとしてオープン。
企業としての社会貢献の一つとして、鈴木鐡男会長のコレクションを一般公開しています。
1階の展示スペースには、日本の人間国宝クラスの陶芸家や
ガラス工芸作家の作品が多数展示されています。
2階はシルクロード美術の展示として、異国情緒豊かな作品が所狭しと並び
その生き生きとした展示品は、いくら見ても見飽きることは有りません。
この仏陀像(左)は、頭光・左肩・胸から下が欠損していますが、ガンダーラ彫刻
特有の緑灰色片岩で彫刻されています。
仏陀は悟りを開いた人、菩薩は悟りを開く為に修業している者として
区別され、左手に水瓶を持っている弥勒菩薩像
帝釈天の楽園に、住みついていた誘惑的な水の精、アプサラ
展示スペースは、1・2階共に古民家造りの畳敷きに木の廊下で、過去の大地震にも耐えた
強固な構造の建物と、歴史的な美術品を同時に堪能できるミュージアムです。
博物館明治村(Ⅱ) [博物館]
京都中井酒造 旧所在地 京都市中京区御幸通二条
中井家は、江戸時代の天明7年(1787)京都河原町二条で商売を初め、
享和3年(1873)に、御幸通りにて酒屋を開業しましたが、元治元年の
[禁門の変]で焼失、その後明治3年(1870)この建物が再建された。
安田銀行会津支店(左) 旧所在地 福島県会津若松市大町 明治40年(1907)
札幌電話交換局(中) 旧所在地 札幌市大通り 明治31年(1898)
芝川又右衛門別荘(右) 旧所在地 兵庫県西宮市上甲東国 明治44年(1911)
東山梨郡役所(左) 旧所在地 山梨県山梨市日下部町
廃藩置県後、山梨県は4郡に分けられたが、明治13年(1880)の太政官布告により
9郡に改編され、その時に東山梨郡が誕生し、日下部(くさかべ)村をはじめ
30の村が編入されました。発足当初、仮庁舎での業務でしたが
明治18年(1885)新庁舎として、この建物が日下部村に落成しました。
北里研究所本館・医学館(右) 旧所在地 東京都港区白金
東大で医学を修めた北里柴三郎はドイツに留学、コッホのもとで細菌学を研究し、
帰国した翌年の明治25年(1892)、福沢諭吉の後援を得て、
日本初の伝染病研究所を設立しました。
大正3年(1914)にこの研究所が東大に移管されると、独自にこの北里研究所を創立しました。
宇治山田郵便局(左) 旧所在地 三重県伊勢市豊川町
明治42年(1909)伊勢外宮前の、角地に建てられた木造平屋建てで
中央には円錐ドームの屋根を頂き、両翼には寄棟の屋根がふせてあります。
工部省品川硝子製造所(右) 旧所在地 東京都品川区北品川
明治6年(1873)イギリス人技術者を雇入れて品川興業社硝子製造所が
開設されました。 明治9年工部省がこの製造所を買い上げ官営とし
明治10年(1877)頃、このたてものが建造されました。
呉服座 旧所在地 大阪府池田市西本町
江戸時代以来の伝統的建築の芝居小屋で、明治25年(1892)に
池田市西本町の川岸に移され、名称も呉服座と改めました。
地方巡業の歌舞伎を始め、数々の園芸がもようされ
大衆の遊び場また社交場として賑わっていました。
聖ザビエル天主堂 旧所在地 京都市中京区河原町三条
この教会は、キリスト教の伝導に努めた聖フランシスコ・ザビエルを記念して
明治23年(1890)かつてザビエルが居たことのある京都の地に献堂された
カトリックの教会堂で、本国から取り寄せた設計図に
基づき日本人の手で建造されました。
まだまだ沢山の歴史的価値の高い建造物が有りますが、ご紹介できませんでした。
次回は時間をかけて見学いたします。
今年のブログはこの記事で終了と致します。たくさんのご訪問及び暖かい
コメント有難う御座いました。
ブロガーの皆様はじめご家族にとりまして素晴らしい新年を迎えられますよう
心からお祈り申し上げます。
新しい年も引き続き宜しくお願い致します。
博物館明治村(Ⅰ) [博物館]
愛知県犬山市内山の[博物館明治村]が開村したのは、昭和40年(1965)年3月18日、
日本全国の解体されていく建造物の中から、価値あるものを移築復元し公開しました。
開村当時は、建物や電車等の施設物が15件でしたが、
現在では67件に達し、敷地面積も2倍近くの100万㎡に拡大しました。
明治村正門は、高等学校令により名古屋に開校した[第8高等学校]正門で
明治42年(1909)に建造された、明治期の代表的な様式門です。
大井牛肉店
慶応3年(1867)神戸が開港し、たくさんの外国船が寄港、外国人居留地には
外国人の住宅が次々と建築され、その外国人相手に岸田伊之助が
明治20年(1867)頃、牛肉販売と牛鍋の店として建てた洋風の建物
聖 ヨハネ教会堂 旧所在地は京都市下京区河原町通五條
明治6年(1873)、鎖国以来二百数十年続いたキリスト教の禁止令が解かれ
各地に教会堂が建造されました。
この聖ヨハネ教会堂は、明治40年(1907)に建てられたプロテスタントの教会です。
学習院長官舎
明治42年(1909)に建てられた、洋館と和館を繋ぎ合わせた形の官舎で
当時の学習院長は、陸軍大将[乃木希典]で、第10代目にあたります。
西郷從道邸 旧所在地は東京都目黒区上目黒
明治10年代(1877~1886)の初め、西郷隆盛の弟西郷從道が
接客用に東京上目黒の自邸内に建てたものです。
森鴎外・夏目漱石旧宅 旧所在地 東京都文京区千駄木町
明治20年(1887)頃、医学士中島襄吉の新居として建てられたものですが、
空家であったものを、明治23年森鴎外が借家し1年余り過ごしました。
その後、明治36年(1903)から明治39年までは、夏目漱石が借りていました。
漱石はここで[吾輩は猫である]を発表し文壇に名を高めました。
三重県庁舎 旧所在地 三重県津市栄町
明治9年(1876)県令岩村定高によって計画され、3年後の明治12年に
完成した間口54mに及ぶおおきな木造建造物です。
余りにもたくさんの建造物の為に1度で紹介出来ません。
次回引き続き掲載致します。