豊田佐吉記念館 [記念館]
[豊田佐吉]は、慶応3年(1867年)2月14日遠江国敷地郡山口村(現在静岡県湖西市山口)に
生まれ、小学校卒業後は父[伊吉]の大工仕事を手伝っていましたが、貧困で喘ぐ村の
暮らし振りをみて学問の必要性を痛感し、村の同士を集めて[夜学会]を開いていました。
母の織る原始的な手織りの機織り機をみて、独力で改良を思いつき悪戦苦闘を繰り返し
明治23年(1890年)に最初の発明である[豊田式木製人力織り機]を完成、その後も
研究と改良を続け、1924年に当時世界一と評価された[G型自動織機]を完成しました。
記念館から少し離れたところに、佐吉の生家が復元されています。
父親[伊吉]が佐原家から独立して豊田家を継ぎ住んだところで、元は東側の一段高い
ところにあった江戸時代後期に建てられていたものを、平成2年10月に移築復元しました。
後にトヨタ自動車を創設した佐吉の長男[章一郎]もここで生まれました。
本田宗一郎ものづくり伝承館 [記念館]
静岡県浜松市天竜区二俣町、昭和初期の面影を残す旧二俣町役場(国の登録有形文化財に登録)
を改装した建物内にHONDAの創始者、本田宗一郎氏の年譜や初期のバイク等が展示されています。
本田宗一郎氏は、[人を喜ばせる]、[人に役立つ]事を常に考えてもの造りをされていたそうで、
”技術をもって人間に奉仕する”精神は、現在もホンダ製品に受け継がれています。
隣接地にある京都[知恩院]の末寺、浄土宗 信康山 清瀧寺には、安土桃山時代の
天正7年(1579)9月15日、織田信長に謀反の疑いをかけられ二俣城において、[家康]
から切腹を命じられた、岡崎次郎三郎信康(徳川家嫡男)の遺骸が葬られています。
萬翠荘(ばんすいそう) [記念館]
四国・松山城の麓の森の中に佇む[萬翠荘(ばんすいそう)]は、大正11年(1922)に
旧松山藩主の子孫・久松定謨伯爵が別邸として建てた、フランス・ルネッサンス様式の
洋館で、平成23年11月29日に国の重要文化財の指定を受けました。
総面積887.58㎡(268坪)の地下1階、地上3階の愛媛県で最も古い鉄筋コンクリート造りの美しい建築物で、
晩餐の間にある大きな水晶のシャンデリアやステンドグラスなど随所に凝ったデザインが施され、
大正ロマンの建築美が息づく中で、現在は各種イベントや個展等が開催されています。
踊り場のステンドグラスは、平成22年文化財調査の結果、[木内 真太郎]の作品と判明・・・・・
YAMAHA コミュニケーション プラザ [記念館]
静岡県磐田市の、日本が世界に誇る企業[YAMAHA]発動機が本社内に、[コミュニケーション]をキーワードに
ヤマハ発動機の過去から現在、そして未来まで予測するスペースとして設置されたミュージアムです。
1階にはヤマハを代表する生産車輌や、歴史を飾る国外の生産品が展示紹介されています。
XVー1900A(左) XVS-1300A(中) XVSー950A(右)
XV-1900 Raider(左) FJRー1300 POLICE(中)
YZFーR1(左) YZRーM1
トヨタ自動車との提携により共同開発を行った、トヨタ2000GTとレクサスLFA
レクサスLFAは、1台1台をレクサスの熟練した職人達の手により、500台
限定生産された[日本が世界に誇るスーパースポーツカー]です。
義仲の里 [記念館]
長野県木曽郡木曽町日義
木曽義仲公は、久寿元年(1154)源義賢(よしかた)の二男として武蔵の国大蔵館で生まれ、
幼名は駒王丸と呼ばれた。2才の時、伯父義朝の長子義平に父 義賢は攻め滅ばされ、
畠山重能(しげよし)と斎藤実盛(さねもり)の温情により、信濃の国・木曽に逃れ
任安元年(1166)元服、木曽次郎源義仲と名乗りました。
木曽義仲公や木曽氏に纏わる資料が、数多く展示 されている[義仲館]は
平成4年に開館した歴史資料館です。
山吹山の麓を流れる木曽川に、巴状に渦巻く 歴史漂うこの淵の伝説は、ここに住む
龍神が化身して、権の守中原兼遠の娘として生まれ、名を巴御前と云った・・・・・・・・
日照山徳音寺は木曽義仲一族の菩提寺で、若干31才にして平家追討の命を果たし
征夷大将軍に任じられた後、粟津が原で悲劇の生涯を終えた、武将義仲の霊が眠る。
山門は装飾的な無駄のない簡素な美しい重層楼門です。
中山道のほぼ中間にある福島関は、江戸幕府が江戸防衛の為に、5街道の各所に
張り巡らした50ヶ所にのぼる関所の内で、東海道の箱根・新居や中山道の
碓氷などと並び天下の4大関所の一つでした。
吉行淳之介文学館 [記念館]
吉行淳之介文学館は掛川市上垂木の、吉行さんの生涯のパートナー・宮城まり子さんが
園長を務める[ねむの木学園]傍の、緑豊かな自然に抱かれた和風の建物です。
吉行淳之介は、岡山県岡山市生まれ(1924年4月13日~1994年7月26日)で、
東京育ちの小説家、芥川受賞作の[驟雨(しゅうう)][砂の上の植物群]
など多数あり、対談やエッセイの名手としても知られていました。
目に入るのは木々の緑、聞こえるのは鳥の鳴き声と風の音、
身体の芯から癒される空間です。