佐久島 [地域]
愛知県西尾市一色町佐久島: 最近ハードなハイキング続きで心体を労る目的で、
三河湾に浮かぶ信号機もコンビニも無い黒壁の家が並ぶ[佐久島]に行きました。
一色漁港の駐車場に停め、7時40分発の高速船で約25分、佐久島西港に到着。
西港の高台には、徳川家康が滞在したと伝えられている[崇運寺(住職が居住する)]、
潮風から家屋を保護する為コールタールを塗装した黒壁の集落に迎えられました。
江戸時代に海運業で栄華を極めた佐久島は、今は長閑でどこか懐かしく
人に優しい光景が広がり、時に追いまくられることの無い別天地です。
飾り気の無い自然と、然りげ無く展示されるアート作品が実に良い!!
約16km、4時間程で島内を一周、数々のアート・自然と調和した草花、
美しい海や椿の花が落下しまるで赤いジュータンを敷いたような遊歩道等、
普段目にしない光景に癒やされフル充電、リフレッシュし帰路につきました。
伊良湖 菜の花祭り [地域]
愛知県田原市堀切町浜藪: 昨日の雨で予定していたハイキングを1日伸ばし、
本日[湖西連峰]を歩いた後、1月14日~4月2日まで開催されている菜の花祭り
を見てみようと、伊良湖岬の近くにあるメイン会場まで足を伸ばしてみました。
開催したばかりの為、メイン会場の[伊良湖菜の花ガーデン]の菜の花は咲き初め、
2月に入ると渥美半島のアチラコチラで1千万本を超える菜の花が咲き誇ります。
原野谷川(はらのやがわ)上流 [地域]
静岡県掛川市居尻: 午後から天気は下り坂との予報で早朝から紅葉狩りでもと、
原野谷川上流まで出掛けましたが、見頃は少し早いようでポツリポツリと紅葉が。
[ならここの里]の温泉施設からの湯けむりで霞む情景が綺麗だったのでパチリ。
余りにも時間に余裕があるため、近くの[大尾山(おびさん)標高671m]に
登ってみる事に、以前この先にある八高山に登った際、目にした大尾山登山口
の看板を思い出し、スマホで調べ駐車場脇の平川神社からハイキングを開始。
ハイキングコースは比較的緩やかで良く整備されていて歩きやすいのですが、
管理された杉林を通る道は単調で全く景観は望めずただひたすら歩くだけ。
1時間ほどで大尾山山頂下の真言宗醍醐派の寺院[顕光寺]に到着・・・・・
更に20分程上り奥の院に到着、石段を上がった所に天然記念物の鳥居杉の切り株、
平成30年の台風24号で倒木し樹齢1000年以上の老木は株と化しました。
その時の災害で奥の院の右側が無惨にも破損、杉の老木は直撃を避けたようです。
帰路は同じ道を通らず、遠回りでしたが舗装された林道でならここの里まで。
走行距離約9km・高低差600m・2時間少々のハイキングでした。
台風一過 [地域]
愛知県新城市門谷字鳳来寺: 小型だが猛烈な雨を降らせ駆け抜けた台風が過ぎ、
朝から空が晴れ渡り久し振りの青空、急遽[鳳来寺]へ参拝に行くことにしました。
道中、数か所で車が水没したのか?放置され、まだ水溜りが有るのは昨夜の豪雨の
凄さとスマホの警戒警報に納得、いつも満車の駐車場も今日は3台の駐車だけ。
大正14年に建てられた旧門谷小学校(昭和45年に廃校)前に彼岸花が・・・
モミジの名所として知られる鳳来寺山は山全体が、国の名勝・天然記念物に
指定されており、愛知県の県鳥[コノハズク]が棲息している事でも有名。
鳳来寺の表参道は1425段の石段を登りきった所に有りますが徒歩で。
登り始めて間もなく、徳川家光により慶安4年(1651)に建立された仁王門
を潜り、その先の樹齢800年・樹高60mの凛とした[傘杉]横を余裕で通過。
傘杉を過ぎると石段は徐々に急になり、鳳来寺に近づくと可成りの急登。
汗を拭き拭きやっとのおもいで、大宝2年(702年)利修仙人が開山したと
伝えられている[鳳来寺]に到着、無事参拝を済ませ山頂を目指します。
※毎回ハイキングの投稿ばかりですので今回はここまでの編集とします。
大千瀬川沿いの桜 [地域]
愛知県北設楽郡東栄町:愛知県の北東部、静岡県との県境付近の東三河山間部を
流れる天竜川支流[大千瀬川]の桜並木で、舌足らずの鶯が春訪れを告げていた。
500平方メートルの野天風呂で有名な[とうえい温泉]裏手にある展望台から
幅約70m落差10mの滝は、[奥三河のナイアガラ]と呼ばれているらしい?
DLoFre's Campus [地域]
静岡県浜松市北区都田:DLoFre's(ドロヒィーズ)とは、Dream(ゆめ)・
Love(愛)・Freedom(自由)・’s(仲間)を組み合わせた都田建設の
造語ブランドで[生活を豊かに美しくする]という概念を基に、2009年に
ドロフィーズ インテリアが誕生、現在まで拡大を続けやく1万坪の敷地に
25余りの施設があり、この敷地の殆どは地域住民から無償借用とのこと。
北欧の家具や雑貨、カフェやガーデンなどが地元住民の家屋の間に点在する
小さな北欧タウンのドロフィーズ キャンパス内にさり気なくディスプレイ
された展示物やスタッフの丁寧な案内に都田建設の質の高さが窺えます。
今回は北欧の家具や雑貨などは撮影しませんでしたが薪ストーブは絶品、
都田建設の宮大工さん制作のピアノ型プランターや、築100年を超えた
土蔵を構造は保持しつつリノベーションした書店など見どころ一杯でした。
大栗安の棚田 [地域]
静岡県浜松市天竜区大栗安: 浜松市の北部、標高450mの急峻な山中に、
平安~室町時代を起源すると言われる[大栗安の棚田]も収穫期を迎えました。
山並みと調和した棚田と茶畑は地区の高齢者により維持管理されています。
今年は真夏に前線が長期停滞し記録的な雨量となりましたが、8月終焉は
猛暑に戻り9月は平年並みの気温に戻り、無事に豊穣の時を迎えました。
南信州・下栗の里 [地域]
長野県飯田市上村下栗: 南アルプス延長部の尾根伝い標高800m~1100m、
最大傾斜38度の斜面が拓かれ自然と調和した静かで美しい高原の集落[下栗の里]。
2009年に[日本の里100選]に選ばれ日本のチロルと呼ばれた高地集落は、
斜面が南に面し日当たりがよく比較的雪が少く、蕎麦・芋・茶等が栽培される。
花桃の里 [地域]
長野県下伊那郡阿智村智里: 長野県南西部に位置する阿智村は花桃の名所で、
例年は4月中旬から5月中旬頃まで、麓から開花を始め高地へと移って行きます。
今年は開花が例年より早く、標高750m~1000mの月川温泉峡でも満開は
一週間前、撮影時は「時既に遅し」で、今年の花桃は終わりを告げていました。
天台宗の開祖・最澄は、東山道の急峻に苦難する旅人を見かねて、この地に
[広拯院]を建造、そのことから比叡山と縁ある地となり、平成12年6月に
信濃比叡根本中堂の呼称が許され、延暦寺の「不滅の宝灯」も分灯された。
奥三河の春 [地域]
愛知県新城市: 新城市玖老勢(くろぜ)の海老川両岸に、10年前に300本余り
植栽された[しだれ花桃]が見頃を迎え、鮮やかなピンク色や白色でお出迎えです。
小ぶりの花桃は未だまだ若木、地元の方々の手厚い保護によって成長するでしょう。
愛知県の県鳥である[コノハズク]の寺として有名な鳳来寺、旧田口線鳳来寺駅跡から
鳳来寺表参道まで続く約1.2kmの道の両側に、出桁造りの風情ある建物が並び
初夏を迎えようとする草木の瑞々しい緑に映え、参拝客の目を楽しませています。
大正時代に建てられた木造校舎の旧田口小学校、昭和45年に廃校となる。
早春のビタミンカラー [地域]
愛知県田原市:東三河の太平洋に面した全長約50km・幅5~8kmの
細長い渥美半島、農業や花の生産が盛んな所で半島全体が田原市です。
百々(どうどう)海岸は、半島南端の日出の石門(ひいきのせきもん)から
浜名湖まで約52kmに渡って緩やかに湾曲した長い砂浜が続いています。
田原市では、露地栽培から施設園芸などへの転換により遊休農地が増加
していたが、農業委員会員自らが解決策として荒れた農地を手入れし、
早咲きの菜の種を蒔き菜の花畑に変え[田原菜の花プロジェクト]推進の
キッカケを作り、今では市内に100箇所以上の菜の花畑が点在します。
明智町 大正村 [地域]
岐阜県恵那市明智町: 古くから愛知県名古屋市と長野県飯田市を結ぶ中馬街道の
宿場町、養蚕業で栄えた為に大正時代の建物が多く残っており、これらを生かして
地域振興の取り組みとして整備され昭和63年(1989)4月に立村されました。
初代村長に高峰三枝子、2代目村長は司葉子、3代目村長には竹下景子が就任した。
旗本明知遠山家に仕えていた初代が寛文4年(1664)に帰農し馬木村に居住、
元禄元年(1688)に普請された茅葺き屋根の鳥居建ての住居で、昭和53年に
町文化財に指定され、平成4年に馬木地区から現在地に移転し復元されました。
[旧三宅家]
大正路地は素封家の年貢米を納めた米蔵と、江戸時代から続く呉服屋の蔵に挟まれた
石畳の路地で、大正時代から残っている両側の黒防火壁がとても印象的な路地です。
Dlofre's Campus [地域]
静岡県浜松市北区都田町: 浜松市郊外の都田地区(みやこだ)、長閑で自然豊かな
一角に、地元企業の都田建設さんが長きに渡り築き上げた、北欧のシンプルライフを
テーマにクリエイティブなライフスタイルが体験出来る[ドロフィーズ キャンパス]。
キャンパス内にある施設は全てオリジナルリノベーション空間の小さな北欧タウンです。
古民家をリノベーションしたカフェやレストラン、北欧家具や雑貨が購入できる
ショップ、スタッフの皆さんが施設内の所々にさりげなくディスプレイしている
控えめなオブジェなど・・・・・・・時には雑踏から解き放たれ、都田の里山で
北欧の雰囲気を愉しみながら、時の経つのも忘れ過ごしてみるのも有りかと・・・
田んぼアート2020 [地域]
静岡県菊川市下内田:稲荷部(いなかべ)地区の水田に、色の異なる10種類程の
古代米を巧みに植栽し、大地に絵を描いた[田んぼアート]が見頃を迎えています。
昨年、京都アニメーションの大惨事で犠牲となった[おおむら ゆうき]さんが、
常葉大学(静岡市)在籍時に松崎町を訪れて作った絵本[うーちゃんのまつざき]、
主人公のうーちゃんが案山子達と一緒に、松崎町を旅する一場面を再現しています。
水田には、大村さんの母親手作りの案山子が立ち、周辺には大村さんが
好きだったヒマワリの花が、優しく微笑みかけ温かく迎えてくれました。
入梅 [地域]
静岡県浜松市天竜区春野町 : いよいよ東海地方も梅雨入りしましたが、入梅と
同時にまるでコロナを洗い流す様な強い雨と風、間隙を衝いて小降りになった折に
突発的に思いつき、浜松郊外の春野町和泉平にある[新宮池]に行ってみました。
山頂付近の標高500m辺りにあるこの池は、古くから龍や大蛇の伝説と信州の
諏訪湖と繋がっているなど?不思議な言い伝えの残る周囲500mの湧水池です。
毎年7月下旬には、池に船屋台が浮かべられ水面を練り渡る祭典が行われます。
小鳥の囀りだけが聞こえる新宮池を後に急いで帰路に・・・・その途中
狭い県道脇の林の中に、不釣り合いな西洋風の建物が目に入り寄り道。
石碑には[春野町胡桃平小学校跡地]と彫られ、昭和44年(1969)に
犬居小学校へ統合され閉校、今は公民館として住民の憩いの場として使用。
阿智村・清内路 [地域]
長野県下伊那郡阿智村清内路: 長野県南西端に位置し、標高1500m前後の
山々に囲まれた以前には存在していた山村[清内路]、昭和21年(2009)
3月31日に同郡阿智村に編入され、村としての長き歴史を閉じ消滅しました。
江戸時代の清内路は、[おいらん煙草]と呼ばれた1級品の刻み煙草を製造し、
江戸や京の都に販売、口当たりが軽く火持ちが良いと好評になり繁栄しました。
清内路の村落内には、多くの白壁の土蔵が残っていて当時の面影が残っています。
飯田と木曽を結ぶ街道脇にある[一番清水]は、信州の名水・秘水に認定
されており、県内外から多くの人が水汲みする有名な水だそうです。
舘山寺 [地域]
静岡県浜松市西区舘山寺町: 浜名湖東岸の庄内半島北側に温泉街が広がり、
はままつフラワーパーク・浜松動物園・浜名湖パルパルなどが付近にある
行楽地の[舘山寺温泉]は、小島にある[舘山寺]が温泉名の由来です。
曹洞宗 秋葉山 舘山寺は、弘仁元年(810)弘法大師が高野山より
仏道行脚時、舘山を訪れ修行した際に開創、長きに渡り東海の名刹として
繁栄しましたが、明治3年(1870)に神仏分離令により廃寺となる。
明治23年(1890)に再興が認められ、火祭りで有名な秋葉山秋葉寺
住職の牧泰禅和尚を招請し再興する際、秋葉三尺坊を舘山寺で祀る事となり
中嶺山から秋葉山に改名、真言宗の伝統を継承しながら曹洞宗の寺となる。
古くから数多くの縁を結ぶことでも有名な舘山寺は、女性から人気のある寺で
静かに鎮座する地蔵様に絵馬を書き、恋愛・良縁成就祈願者が絶えません。
御前崎 [地域]
恭賀新年
平素のご無沙汰をお詫び申し上げます。
本年が皆様にとって幸多き1年となりますよう
心よりお祈りいたします。
令和2年 元旦
静岡県御前崎市御前崎: 例年の元日は、外出すことはなく自宅で寛いで
いましたが、あまりにも穏やかな新年を迎え珍しく海へ出てみました。
御前崎は東に駿河湾、南に遠州灘を望む海と灯台の町です。
東西に長い静岡県で、島部を除けば最南端に位置します。
[御前崎灯台]は1874年に、イギリス人技師の監督のもと建造された
様式灯台で、昔から多くの船舶が座礁した航海の難所を見守っています。
強風に耐える白亜の美しい姿は、日本の美しい灯台50選に選ばれています。
ゆるびく村 [地域]
静岡県藤枝市瀬戸ノ谷: 藤枝の山奥に所在する[ゆるびく村]、自然に
寄り添い地球と共に生きる共生社会へと変えていこうというコンセプトの
もと運営されており、村内の建物はテナントとして貸し出している様です。
通りかかった時間が早朝だった為に、何軒かある店舗は何処も不在で閉店中。
次回は事前に確認し、全店のランチを頂きます・・・ただペットは不可とか?
治部坂・馬の背 [地域]
長野県下伊那郡阿智村浪合: 先週の朝に昼神温泉で花桃を撮影しての帰路、
今まで時間の都合で立ち寄ることの出来なかった治部坂峠のジャム工房さん。
丁度小腹が空いていたこともあり、工房に隣接した[Kitchen Stove]さんで
真心が一杯詰まった手作りパンとコーヒーで一息、時間に余裕があった事もあり
横手から別荘地内の細い道を20分程登り、[馬の背]の展望台へ・・・・・
戦国時代、甲斐の武将武田信玄が敵の侵入など火急の場合の通信手段として
設けた狼煙台のあった蛇峠山(1663m)まで1.3kmの表示が・・・・
体力に自信がなく、標高1457mの馬の背で北アルプス・中央アルプス
南アルプスを遠望しつつ、先程お土産に購入した延命水サイダーを一気飲み。
(パンもさることながら、このサイダー本当に美味しかったです)
気分よく家路へ、通りかかった浪合神社で春の祭礼が催されており見物。
[浪合神社]の御祭神は、後醍醐天皇の孫にあたる尹良(ゆきよし)親王で、
南北朝(1336~1392)動乱の時代に、御父宗良親王と共に東国まで
遠征し、南朝の再興に奔走されましたが、応永31年(1424)8月に
上野国から三河国に赴くためこの地に差し掛かった折に北朝に襲われ戦死。
※行き当たりばったりでしたが、ラッキーな一日でした。
阿智・花桃の里 [地域]
長野県下伊那郡阿智村智里: 伊那谷から木曽谷へと続く国道256線は
[花桃街道]と呼ばれ、中でも阿智村は日本一の桃源郷とも言われています。
お目当ては月川温泉郷の[花桃の里]でしたが、訪れた時期が早すぎた為に
まだつぼみ、標高の低い[美肌の湯]で知れれる昼神温泉郷へ移動し花見。
昼神温泉の近くに[駒つなぎの桜]という有名な古木が有るので行きましたが
開花はまだ先のよう、その里に天台宗開祖最澄上人が東山道最大の難所である
神坂峠を越える旅人の苦労を癒やすために廣拯院(無料宿泊所)を建立した。
このことから比叡山と縁深い地として信濃比叡の呼称を許された信濃比叡廣拯院。
洞(ほら)町 窯垣の小径 [地域]
愛知県瀬戸市仲洞町:洞(ほら)町は、南北に狭った2つの山の谷間の町で、
その山の斜面を巧みに利用して多数の登り窯が築かれ、瀬戸の焼き物作りの
中心地の一つとして、江戸時代から焼き物の里として繁栄してきました。
この洞町には、登り窯に製品を詰める際に使われる、ツク・エブタ・エンゴロ等
不要になった窯道具で造られた、様々な塀や石垣が新旧たくさん残っており
それらの総称を[窯垣]と呼び、歩く人々の目を楽しませてくれます。
[洞 本業窯]は登り窯の一種で、陶器を焼成する窯として江戸時代後期から
石炭窯等に変わるまで、磁器を焼成する丸窯と共に瀬戸を代表する窯でした。
白馬村姫川周辺 [地域]
長野県北安曇郡白馬村:古事記には糸魚川市付近を治めていた豪族の娘[奴奈川姫]に、
大国主命が出雲の国から求婚に来たという神話が残されている姫川。
信濃川水系に属する青木湖と分水嶺を隔てた平坦部から湧き出て、国道148号線と
並行して流れ新潟県糸魚川市の河口から日本海に注ぐ延長58kmの河川です。
姫川源流は川の始まりを平坦地で直接見れる珍しい所で名水百選に指定されています。
清流姫川に架かる[大出の吊り橋]とその奥の集落にある茅葺屋根の古民家は、
まさに日本の原風景ですが、残念なことに後方の白馬三山は雲の中でした。
[善鬼伝説]の残る白馬村青鬼は、北アルプス白馬岳の麓に位置する
戸数11戸という小さな集落ですが、主屋は全て茅葺屋根をトタンで
被覆した大きな建物で、重要伝統的建造物群保存地区に指定されています。
初秋の北遠 [地域]
静岡県浜松市の北部地域、旧国名である[遠州]の北部という意味で[北遠]と呼ばれ、
区域の大部分を森林が占め清流と、心癒される天空の離れ集落が多く点在しています。
[水窪ダム]は、天竜川水系水窪川支川戸中川に発電の為設けたもので、総貯水量
3,000万㎥を貯水し、ダム左岸に設けた取水口より延長5.3㎞の
圧力トンネルで水窪発電所に導水し、最大出力60・000kwの
電力を発生させたうえ佐久間貯水池に放流しています。
残念ながら温暖な気候の浜松市、北部とはいえ紅葉には程遠くまだ晩夏でした。
小堀谷鍾乳洞 [地域]
静岡県浜松市天竜区青谷: 気晴らしに、清流で知られる阿多古川方面へドライブ。
大河ドラマ[おんな城主直虎]の第1話で、竜宮小僧を探しているシーンに
使われたという(実は私は観ていない)[小堀谷鍾乳洞]を目指し登坂。
別名を[青谷鍾乳洞]とも呼ばれている鍾乳洞の入り口には、内部の照明を
見学者自らがスイッチ・オン、半信半疑でスイッチを入れると見事に点灯。
奥行きが50mほどの貫通型の石灰洞は、昭和54年7月23日の試掘から
奈良時代末期の遺跡であることが明らかになったとの事、今はコウモリの棲家。
※不覚にも機材を持参していなくて、上手く撮れませんでしたm(__)m
寄り道 [地域]
お詫び
夏バテ?かどうか、少々体調が思わしくなく、先月撮影の途中に立ち寄り
撮った写真の記事を載せますが、どうかあしからず・・・・
愛知県新城市作手善夫バンバ平:地元の元気で明るい御婦人達が、懐かしい
田舎料理の[へぼ(蜂の子)ご飯]や[えんまん餅]で迎えてくれる涼風の里。
茅葺き屋根の施設には、有機野菜の直売所も有り癒されること間違い無し!
長野県下伊那郡根羽村横旗: 武田信玄は野田城(愛知県新城市)攻略の後に、
鳳来寺にて肺肝の療養をしていましたが、病状が芳しくなく田口・津具を経て甲斐国へ
引き返す途中の、元亀4年(1573)4月12日53歳にてここにおいて他界。
信玄塚はここより50m下方に有りますが、宝暦年間(1751~1764)の頃
横旗・中野・砦の3部落の人々により、武田神社としてここに祀りました。
長野県下伊那郡阿智村御伍和: 亜矢の回り舞台は、安政5年(1857)に
造られた芝居の舞台で、間口9間・奥行き6間(16.4m✕10.9m)の
入り母屋造りの木造2階建て瓦葺きの、堂々とした立派な建物です。
明治7年から25までまでの間、学校として使用されていました。
回り舞台の隣に鎮座する亜矢八幡社は、周辺の人々と密接な関係が有り、村人は
伝統芸能を奉納し、拝殿にてお神酒と神餅を頂くことが許されているそうです。
養命酒 健康の森 [地域]
長野県駒ヶ根市赤穂、南アルプスと中央アルプスに挟まれ、木曽駒ヶ岳を背景にした
約36万㎡の緑豊かな森林の中、抜群の環境下にある[養命酒駒ヶ根工場]。
そこは清流と大自然に包まれ、心身共に癒される憩いの空間が広がっていました。
森の中には、せせらぎ・沐浴・山野草等のコースがあり自由に散策できます。
昭和46年に養命酒(株)が工場建設する際、縄文・弥生・平安時代の住居跡や
土器など多が数発見されたため、発掘調査が行われ記録保存されました。
※縄文・弥生・平安時代の住居が復元されていました。
滝沢の風車 [地域]
静岡県浜松市北区滝沢町、新東名走行中に浜松サービスエリアを過ぎたあたり、
引佐連峰の稜線に並ぶ風力発電機に惹かれて寄り道・・・・・
山間の長閑な町を抜けると道幅は狭く急勾配となり、対向車とのすれ違いも一苦労、
やっとの思いでたどり着いた展望台から、浜松市内が一望でき夜景の有名スポットらしい。
展望台から少し上ると、エネルコンE82というドイツ製の大型風車・・・・・
その大きさに圧倒されるとともに、美しい姿にしばし魅入りました。
串原郷土館 [地域]
昭和40年に、矢作川の上流で開始した多目的ダムの建設により、川沿いに
点在する耕作地と民家70戸が水没しました。
縄文の時代から人が住み、営々と暮らしてきた姿を残そうと、昭和43年に
江戸時代末期に建てられた、この地方の代表的な民家を移築して
郷土資料館とし、水没地区の方々から寄贈された民族資料を展示しています。
岐阜県の南東端、愛知県に接する山間の町[串原]は、矢作第1ダムで
形成された人造湖があり、桜や紅葉など見事な景観が1年を通して愉しめます。