天竜浜名湖線 駅舎 [有形・無形文化財]
静岡県浜松市天竜区二俣:天竜浜名湖線は旧国鉄の二俣線を引き継いだ路線で、
掛川市の掛川駅から浜松市天竜区の二俣駅を経て湖西市の新所原駅に至る総延長
67.7km38駅で静岡県第3セクターの天竜浜名湖鉄道が運営する路線です。
東海道線の掛川を離れ、内陸部の長閑な田園地帯や浜名湖北岸を走り、再び湖西市の
新所原で東海道線と合流する沿線上の36の建造物や施設は、国の登録有形文化財に
登録されており、1935年開業当時の面影を残す風情のあるレトロな路線です。
※最後のユリカモメですが、以前は列車到着時に餌をまいて電車の前でカモメが
乱舞していましたが、今回は駅員の方が規制し列車到着時、餌やり禁止でした。
三熊野神社大祭 [有形・無形文化財]
静岡県掛川市西大渕:遠州地方の祭りトップを切る[三熊野神社大祭]は、
煉り(山車)の上で奏でられ祭りを盛り上げる三社祭囃子が行われます。
横須賀独自の調子と、[ひょっとこ][おかめ]の面を着けて踊る
手古舞(てこまい)はユニークで、町は春祭り一色で賑わっています。
横須賀城址は、天竜川より運ばれた玉砂利を用いた他に類を見ない築城法で、
高天神城攻略の拠点として築城されましたが、明治維新と共に廃城されました。
天竜浜名湖鉄道 [有形・無形文化財]
旧国鉄二俣線を前進とする[天竜浜名湖鉄道]の本社は、静岡県浜松市天竜区の
二俣駅に有り、静岡県掛川市の掛川駅から湖西市の新所原駅に至る全長
67.7km・39駅、遠州地方の浜名湖北岸を走る第3セクターの鉄道です。
70年以上の歴史がある天竜浜名湖鉄道にはレトロな駅舎や、1940年の
開通と同時に設置された車両の向きを変える為の[転車台]等、
今でも現役で稼働する珍しい設備や建屋が数多く現存しています。
これらは1998年に国の登録有形文化財に指定されています。
毎年12月~2月頃の冬期、天竜浜名湖線の[浜名湖佐久米駅]に冬鳥の
[ユリカモメ]が飛来し、列車の回りを乱舞するユリカモメが見えます。
天竜浜名湖鉄道の全線には、36件もの国の登録有形文化財が存在します。
先に登録された運転区の施設以外に、平成23年に駅舎やプラットフォームを
始め、橋梁や隧道などが新たに国の有形文化財に加わりました。
門西家住宅 [有形・無形文化財]
山梨県南巨摩群身延町下部:古くから湯治場として栄え、武田信玄公が戦の傷を
ここの湯で癒やしたと伝えられていることから、信玄公の隠し湯として
名湯100選にも選ばれ、古くから知られている[下部温泉]より更に
下部川沿いを車で10分程登った処、石畳を挟んで建つ山村が[湯の奥]集落です。
湯之奥金山は戦国時代から採掘が盛んで、山中に鉱山関係者が集住していましたが、
やがて資源の枯渇により金山は衰退し、元禄年間に閉山となり大集落は廃絶。
門西家は江戸時代を通して、湯の奥金山や山林を管理する他に、関守や名主役を
勤めた由緒ある家柄であり、湯之奥村は門西家を中心に形成された集落です。
大きな茅葺き屋根の住宅は、国の重要文化財に指定されています。
集落の最奥部に静かに鎮座する[湯の奥山神社]は、苔生した参道脇の
ウラジロガシ群生からみて、古くから信仰されていた神社のようです。
旧松本家住宅(竹の丸) [有形・無形文化財]
静岡県掛川市掛川、明治36年(1903年)代々掛川城下の中町で葛布問屋[松屋]を
営んでいた松本家(当主:義一郎氏)が、竹の丸に本宅を建造しました。
[竹の丸]は、豊臣秀吉により掛川城主に任命された[山内一豊]によりそれまでの
掛川城を拡張するため付け加えられた郭(くるわ)と共に造成されました。
松本家は、寛政元年(1789年)から掛川藩に金子を用立てていた記録があり、
19世紀に入ると、藩の御用達を命じられました。
離れ2階にある貴賓室の欄間には、花鳥のステンドグラスが嵌めこまれており
室外には、鉄製のベランダが設けられています。
主屋と離れが近代豪商住宅の様相を今に伝える貴重な建造物として
平成17年2月28日に、国登録有形文化財に登録されました。
昭和11年(1936年)に松本家が東京に転居するにあたり、竹の丸邸宅は
当時の掛川町に寄贈されました。