二俣城(ふたまたじょう)は遠江国豊田郡二俣(現・静岡県浜松市天竜区二俣町二俣)の
天竜川と二俣川に挟まれた、標高90mの台地上に築かれていた山城で
武田氏と徳川氏とがこの城をめぐり激戦を繰り広げた。
徳川家康の嫡男、岡崎三郎信康が切腹し自害した城として知られている。
二俣城址から天竜川を望む
青龍寺
岡崎三郎信康は徳川家康の嫡男として永禄2年(1559)3月6日家康人質の
今川氏支配の駿河で生誕、織田信長の娘 徳姫と共に9歳で結婚
後に不仲から徳姫は父信長への12箇条の手紙の中で実母築山御前と
信康が武田と内通している書かれ、激怒した信長は家康に絶命を命ずる。
家康の正室築山殿は浜松城への道中で殺害、
信康は二俣城にて切腹、享年21歳
静寂の信康廊と芭蕉の門人晋子(しんし)の句、
世界のホンダの創業者の本田宗一郎氏が二俣尋常小学校の時、正午の鐘を
30分早く突き早弁当を食べたというエピソードの鐘と
本田宗一郎ものづくり伝承館
内山真龍(うちやま またつ)元文5年(1740)~文政4年(1821)
江戸時代後期の国学者で遠江国豊田郡大谷村の名主を勤め
宝暦12年(1762)賀茂 真淵に入門し国学を学ぶ、主に歴史地理を
研究し[出雲風土記解]は真龍が国学者として注目された処女作