姿の美しさから「東海の名城」とうたわれた掛川城、戦国時代に山内一豊が
城主となり天守を建立した。天守台から眼下に広がる
緑の多い美しい掛川の街並みが一望できる。
平成6年4月、当時の美しさそのままに
日本初の本格木造り天守閣として復元された。
明治36年(1903)、代々掛川城下の中町で葛布問屋「松屋」を営んでいた
松本家(当主・義一郎氏)が、竹の丸に本宅を建てた。
葛布は掛川宿の葛布問屋によって江戸等へ出荷されていたが幕末になり
乱れた流通機構を正す為掛川藩は、安政5年に取り扱い問屋を
指定して、指定問屋以外の商人が他領へ販売することを禁止する。
昭和11年(1936)、松本家が東京へ転居するにあたり
竹の丸の邸宅は当時の掛川町に寄贈された。
近代豪商の邸宅、主屋と離れ・離れ2階の貴賓室から眼前に掛川城
葛布と織り機
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龍華院大猷院霊屋(りゅうげいん だいゆういん おたまや)
明暦2年(1656)掛川藩主北条氏重が幕府にに願い出て
徳川3代将軍家光の霊牌を祀る為に建立した。