遠江国城東郡横須賀(静岡県掛川市横須賀)
天正6年(1578)徳川家康は家臣の大須賀康高(初代城主)に命じ
高天神城攻略の拠点として横須賀城の構築を命じた。
横須賀城(別称松尾城)は戦国時代末期、德川勢力と武田勢力との
境界地帯であり激しい攻防が繰り返された。
天正9年(1581)高天神城は落城、横須賀城は南遠州の拠点として
明治維新を迎え、明治6年廃城となり建物は解体された。
天竜川より運ばれた玉石を用いた構築法で山城と平城の特徴を
併せ持ち通常1つしかない大手門がこの横須賀城には
東西にあり両頭の城といわれた。
頭上で甲高い異音が響き見上げると、紺碧の空に横須賀凧が泳いでいる。
天正年間(約400年前)戦国時代に敵陣地の測量や密書を送る
手段にされたのが始まりとされている。
カラフルな色彩と長い尾が特徴で種類は20種以上
一つの地域にこれ程の異種凧があるのは稀である。
左が巴(ともえ)と右がとんがり