愛知県北設楽郡設楽町の寒狭川を見下ろす丘陵 に所在する、戦国時代の山城
 
[田峯城(だみねじょう)]は、文明2年(1470年)菅沼定信により築城されました。
 
戦国時代初期、設楽町近辺は交通の要所であり、東は今川氏・北は武田氏・
 
西は織田氏と有力大名が台頭するなか、常にせめぎ合っていました。
 
 
 
 
 
 
 
 5代目城主の菅沼定忠は、設楽原の戦いに武田方 として出陣しますが大敗し、田峯城に
 
帰城するも、留守居の叔父定直や家臣の謀反にあい入城できず信濃に落ち延びます。
 
天正4年(1576年)7月未明、復讐に燃える定忠は田峯城に斬り込み謀反一族96人を
 
惨殺、天正10年(1582年)定忠も討たれ御家断絶となり田峯城は廃城。
 
 
 
 
 
                  
 
 
                 
 
 
 
比較的に平坦で綺麗に手入れされた長閑な山里でした。復元された山城は少々
 
立派過ぎる感はありましたが、周りに溶け込み素晴らしい景観でした。