日本一長い(64.6km)軽便鉄道だった駿遠線(すんえんせん)は
東海道本線袋井駅から南に浅羽平野を抜け小笠、榛南(はいなん)の
沿岸部を通り藤枝に至りました。
大正元年中遠鉄道を設立し、大正3年1月11日袋井から新横須賀間に
軌道を敷設し、軽便鉄道を開通させました。
その後 新三俣(17.4km)まで延長し、昭和18年に5社が合併し
静岡鉄道となり、昭和23年に藤相鉄道(31.9km)と直結し
静岡鉄道駿遠線(すんえんせん)と改称しましたが、その後の
モータリゼーションの発達と共に逐次廃止され昭和45年
7月31日全線廃止となりました。
(軽便鉄道とは一般的な鉄道より規格が低く安価に建設された鉄道)
掛川市山崎の浄土宗 景江山撰要寺(せんようじ)は、徳川家康の命により
大須賀康高が武田勢(高天神城)攻略のため、現撰要寺の地に
布陣して高天神城を攻めたといわれている。
天正6年家康の命を受けて康高は横須賀城の築城をはじめ
天正8年に完成し初代城主となり、翌年9年に撰要寺を創建した。
横須賀の町並