京都中井酒造    旧所在地  京都市中京区御幸通二条

中井家は、江戸時代の天明7年(1787)京都河原町二条で商売を初め、

享和3年(1873)に、御幸通りにて酒屋を開業しましたが、元治元年の

[禁門の変]で焼失、その後明治3年(1870)この建物が再建された。

     

安田銀行会津支店(左)   旧所在地  福島県会津若松市大町  明治40年(1907)

札幌電話交換局(中)   旧所在地  札幌市大通り  明治31年(1898)

芝川又右衛門別荘(右)   旧所在地  兵庫県西宮市上甲東国  明治44年(1911)

  

東山梨郡役所(左)   旧所在地  山梨県山梨市日下部町

廃藩置県後、山梨県は4郡に分けられたが、明治13年(1880)の太政官布告により

9郡に改編され、その時に東山梨郡が誕生し、日下部(くさかべ)村をはじめ

30の村が編入されました。発足当初、仮庁舎での業務でしたが

明治18年(1885)新庁舎として、この建物が日下部村に落成しました。

北里研究所本館・医学館(右)   旧所在地  東京都港区白金

東大で医学を修めた北里柴三郎はドイツに留学、コッホのもとで細菌学を研究し、

帰国した翌年の明治25年(1892)、福沢諭吉の後援を得て、

日本初の伝染病研究所を設立しました。

大正3年(1914)にこの研究所が東大に移管されると、独自にこの北里研究所を創立しました。

      

宇治山田郵便局(左)   旧所在地  三重県伊勢市豊川町

明治42年(1909)伊勢外宮前の、角地に建てられた木造平屋建てで

中央には円錐ドームの屋根を頂き、両翼には寄棟の屋根がふせてあります。

工部省品川硝子製造所(右)   旧所在地  東京都品川区北品川

 明治6年(1873)イギリス人技術者を雇入れて品川興業社硝子製造所が

開設されました。 明治9年工部省がこの製造所を買い上げ官営とし

明治10年(1877)頃、このたてものが建造されました。

      

呉服座   旧所在地  大阪府池田市西本町

江戸時代以来の伝統的建築の芝居小屋で、明治25年(1892)に

池田市西本町の川岸に移され、名称も呉服座と改めました。

地方巡業の歌舞伎を始め、数々の園芸がもようされ

大衆の遊び場また社交場として賑わっていました。

聖ザビエル天主堂   旧所在地  京都市中京区河原町三条

この教会は、キリスト教の伝導に努めた聖フランシスコ・ザビエルを記念して

明治23年(1890)かつてザビエルが居たことのある京都の地に献堂された

カトリックの教会堂で、本国から取り寄せた設計図に

基づき日本人の手で建造されました。

      

まだまだ沢山の歴史的価値の高い建造物が有りますが、ご紹介できませんでした。

次回は時間をかけて見学いたします。

今年のブログはこの記事で終了と致します。たくさんのご訪問及び暖かい

コメント有難う御座いました。

ブロガーの皆様はじめご家族にとりまして素晴らしい新年を迎えられますよう

心からお祈り申し上げます。

新しい年も引き続き宜しくお願い致します。