青い海と白い砂浜がどこまでも続く、渥美半島の百々(どうどう)海岸

     

田原城は1480年(文明12年)頃、戸田宗光が渥美半島統一の拠点として築城した。

城といっても当時の城は、空堀(からぼり)土塁(どるい)で造られた館でした。

以来70年に渡って栄ましたが、今川義元により攻略され落城、その後

城主は交代し、慶長6年から戸田尊次が1万石で、寛文4年には1万2千石で

三宅康勝が入城し、三宅氏の居城として栄え明治維新を迎えました。

     

渡辺華山は田原藩家老であり、画家としても名を成すと共に蘭学者として

激動の幕末を生き、天保12年(1841)49歳で自刃する。

        

巴江(ともえ)神社は、元は児島社という名で城外にあったものを1877年(明治10年)に

現在の地に社殿を造営し、巴江神社と改称しました。

祭神の児島高徳は南朝の忠臣であり、後醍醐天皇が隠岐に流される際に

奪回を試み、それがならないとなるや、天皇御在所の庭に侵入し桜樹に

十字を刻んで忠誠を誓ったと言う伝説があります。

     

一足お先に渥美から春の香りをお届け致します。