江戸と京の都を結ぶ中山道は、山深い木曽路を通っていることから木曽路街道と呼ばれた。
 
 中山道69次のうち、江戸日本橋から数えて42番目となる[妻籠宿(つまご)]は中山道と
 
伊那街道が交わる交通の要として、古くから栄えていました。
 
 
 
 妻籠宿は全国で初めての、集落町並み保存に着手し、昭和43年より寺下の町並みを中心に
 
復元保存工事を始め、江戸時代の面影を残す事が出来ました。
 
 
        
 
                
 
 江戸時代の初めに制定された宿場は、一種の城塞の役割を持たされて整備され、宿場の出入り口には
 
必ず街道を2度直角に曲げる枡形が設けられ、外敵が侵入しにくい様に造られていた。