木曽福島 [宿場町]
中山道 和田宿 [宿場町]
日坂宿 [宿場町]
木曽 馬籠宿 [宿場町]
細久手宿(ほそくてしゅく) [宿場町]
贄川宿 [宿場町]
大妻籠 [宿場町]
台ヶ原宿 [宿場町]
旧新井家住宅 [宿場町]
白須賀宿 [宿場町]
中山道 妻籠宿 [宿場町]
赤沢宿 [宿場町]
中山道・馬籠宿 [宿場町]
岐阜県中津川市馬籠の[馬籠宿]は、中山道の日本橋から数えて43番目の宿場、
木曽11宿では一番南の宿場で標高約600mに位置し、宿場の長さは約600m、
石畳の敷かれた坂道沿いに400年の古き良き面影を今も残しています。
小説[夜明け前]で知られる文豪[島崎藤村]の故郷でもあり
大自然に抱かれた宿場町です。
馬籠峠を越えた信州側の妻籠宿まで約8kmの石畳は、絶好のハイキングコース
として有名で、終日たくさんのハイカーで賑わっています。
この日、展望台から見えた恵那山は、頭にうっすらと冠雪していました。
中山道・奈良井宿 [宿場町]
長野県塩尻市奈良井は戦国時代武田氏の定めた宿駅となっており、
集落の成立はそれよりさらに古くからと考えられます。
慶長7年(1602)江戸幕府によって伝馬制度が設けられて中山道
67宿が定められ、奈良井宿もその宿場の1つとなりました。
奈良井宿は中山道最大の難所といわれた鳥居峠をひかえ、峠越えに
そなえて宿泊する旅人が多く、[奈良井千軒]とよばれ旅籠の軒灯、千本格子
など江戸時代の面影を色濃く残した町並みが形成されています。
奈良井川沿い約1kmにわたる中山道69次の34番目(江戸から数えて)
の宿場町で木曽路11宿の中で一番標高の高い位置にあります。
奈良井宿内には6箇所の水場があり水の豊富な事が伺え、飲料や
洗い物だけではなく建物が密集している中、火災の延焼防止になっている。
当時の街道の面影を知ることができる古道と杉の巨木
舞阪宿 脇本陣 [宿場町]
浜松市西区舞阪町の[舞阪宿]は江戸から30番目の東海道の宿場で
東西交通を結ぶ[今切渡し]の渡船場でした。
天保9年(1838)建築とされる脇本陣[茗荷屋]は平常は旅篭屋ですが
大名の供が多いときには本陣を補いました。
唐破風柿葺屋根(からはふ こけらぶきやね)は江戸時代
本陣と名の付くものだけに許された屋根付き玄関
[上段の間]は位の高い人が宿泊されるとき使う部屋で畳が重ねあわされており
縁の下から槍で突かれても致命傷にならない構造になっています。
江戸幕府が慶長9年(1604)に東海道等の街道に松や杉を植えさせた
時から現在まで続く松並木と舞阪宿北雁木(がんげ)常夜燈
三州足助 [宿場町]
愛知県豊田市の東側に位置する足助町(あすけ)は、紅葉で有名な[香嵐渓]の所在
する町で、その昔三河から伊那谷を通り信州へ至る道は伊那街道と呼ばれ
その宿場町として栄えた[足助宿]
当時の面影を残し古い家並みの残る町[足助]
新年を迎えようとする町並みと黒い板壁と白の漆喰が美しい[マリリン小路]
足助の町並みから徒歩で10分位の所に[三州足助屋敷]があり
民具を実際に使用し、中山間部の農家の生活を
再現している生きた民族資料館として広く知られている。
あいにく訪問日が木曜日だったため残念なことに休館、
営業日に再度来館し見学することとした。
足助八幡宮は境内に[わらじ]の像が置かれ、その昔[足を助ける神]として
信仰されていた。室町時代の特色をよく表している本殿の創建は
白鳳2年(673年)と伝えられており1466年に再建
桧皮葺き(ひわだぶき)の屋根で三間社流造(さんげんしゃながれづくり)
は国の重要文化財に指定されている。
足助町花[さざんか]の見事な巨木