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木曽福島 [宿場町]


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長野県木曽郡木曽町福島 : 江戸幕府が江戸防衛のために5街道の各所に


配置した50箇所にのぼる関所、その中でも天下の4代関所の1つ[福島関所]。


明治2年(1869)の廃関後に取り壊されましたが、昭和50年(1975)に


福島関所資料館として史跡公園・関所門が整備され一般公開されています。



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古い町並みが残る上の段地区には、木曽の伝統的な家屋が残っています。



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木曽川に沿って並ぶ崖家造りの家屋は、表から見ると2階建てで裏から見れば


3~4階建てになっている不思議な建物、明治時代に開通した狭い通りをその後


車の発達に伴い拡幅され、商店は木曽川に後退し川の上にせり出し増築しました。



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中山道 和田宿 [宿場町]

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長野県小県郡長和町和田: 中山道69次の宿場で江戸から数えて28番目の和田宿。


中山道で1番標高が高く険しいことで知られた和田峠の入り口で、次の下諏訪宿まで


約23kmもある長丁場の為、京へ上るも江戸へ下るも和田宿で一泊する要所でした。



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当時の宿場は、800m程の通りに旅籠や荷駄を運ぶための伝馬役・歩行役を


勤める家屋が並んでいたようですが、今は1部分が昔の面影を残しています。



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戦国時代に武田信玄が信濃を攻め、その際城主の大井信定は討死、


その菩提を弔うために天文22年(1553)に建立された信定寺。



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日坂宿 [宿場町]

令和元年、お忙しいところ沢山のご訪問並びにNICEやコメント有難う御座いました。


フルタイムパート勤務の傍ら、週末投稿の拙いブログにお付き合い下さいまして、


心から御礼申し上げますと共に、後半力尽き同じような投稿の記事になりました。


この記事が今年最後の投稿となりますが、来年も引き続き宜しくお願いします。



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静岡県掛川市日坂:[日坂宿]は東海道3大難所の1つ[小夜の中山峠]の


西麓に位置し、江戸から54里余りにある宿場で天保4年(1843年)の


記録によると、家数168軒・人口750人・本陣1軒・脇本陣1軒・


旅籠33軒があり、大井川の川止めや参勤交代などで賑っていたようです。



旅籠[川坂屋]は、寛政年間(1789~1800)の創業と伝えられ、


日坂宿では一番西にあった旅籠屋、精巧な木組みと細かい細工の格子が


特徴的で、当時建築にあたり江戸より棟梁を招いて建造したようです。



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[小夜の中山]に伝わる[夜泣石]の伝説は幾つか有りますがその一説、

 

むかし久延寺に安産祈願のために参詣した、お石という女が中山峠を


超える途中で山賊に襲われ殺害され、お石の魂魄は側にあった丸石に


乗り移り夜毎に石が泣いたことから、里人たちは皆[夜泣石]と呼んだ。


傷口から生まれた子供は、久延寺の和尚が育て母の敵討ちを成し遂げた。


その後弘法大師がこの話を聞き、石に仏号を刻み立ち去ったという話。



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木曽 馬籠宿 [宿場町]

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岐阜県中津川市馬籠: 中山道69次43番目、木曽11宿の最も南側にある


宿場の[馬籠宿]、山の尾根伝いを開いた約600mに及ぶ石畳の坂道が続き、


昔ながらのお土産屋さんやお食事処が並んだお洒落で風情溢れる宿場町です。


文豪島崎藤村は馬籠宿本陣の末裔で、代表作である[夜明け前]の舞台です。



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42番目の[妻籠宿]と共に中山道を代表する観光スポットで、世界各国から


沢山の旅人が訪れ人気のハイキングルートとなっている妻籠までの8.4km。


所々かなり急勾配の険しい道も有りますが、老若男女が健脚を試しています。



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細久手宿(ほそくてしゅく) [宿場町]

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岐阜県瑞浪市日吉町: 江戸から48番目、京から22番目に位置する[細久手宿]。


中山道の開設時、東の大湫宿(おおくてしゅく)から西の御嵩宿(みたけしゅく)間の


道程が四里半(約17.7km)もあったことから、尾張藩によって設置されました。


慶長11年(1606)の開宿当初は7軒家と呼ばれる小さな宿場、その後放火により


全焼したものの、慶長15年に正規の宿場として再整備され戸数65軒を数えました。


(宿場は仮宿のほか3度にわたり大火に見舞われ、現在の町並みは安政の大火以降形成)



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庚申堂(こうしんどう)は宿内はもとより、近郷や旅人からも


[細久手のこうしんさま]として、親しまれたお堂です。



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山丘上に有りながら常時水をたたえている不思議な[弁財天の池]



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贄川宿 [宿場町]

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長野県塩尻市贄川: その昔の温泉が湧き出た頃に熱川(にえかわ)と


呼んでいましたが、その後温泉が枯れ、麻衣迺神社神社の本社である


諏訪神社の神事の贄として、当地で取れた鯉や鮒を献上したことから


[熱]を[贄]と改め[贄川(にえかわ]としたと伝えられています。



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中山道33番目の宿場[贄川]は奈良井川が山地から松本盆地へ流れ出す手前、


尾張藩の北端に位置し宿場としてのみならず、木曽の周辺地域を結ぶ物資流通の


拠点として繁栄しましたが、宿場全体が高台にあり水の確保が困難だった為に


大火が多く、宿場を焼き尽くす大火災が2度もあり当時の町家は殆どありません。



深澤家は屋号を加納屋と称し、木曽を起点とした商売を続けていた商家で


上町では格別に大きく、平成17年に国指定重要文化財に指定されました。


 

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[贄川関所]は豊臣秀吉の時代に、木曽材木監視の為に南の


妻籠番所と共に設置され目を惹かれせていました。 


元は小道を隔てた反対側に位置していたものを


昭和51年(1976)に、宿の北の入り口に復原したものです。



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大妻籠 [宿場町]

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長野県木曽郡南木曽町吾妻: 妻籠宿から馬籠宿に続く中山道、妻籠宿から


少し離れた処に、袖卯建(そでうだつ)を持つ出梁(だしはり)造りの


数軒の民家と大きなお蕎麦屋さんが一軒ある小さな集落[大妻籠]が在ります。



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[妻籠宿]から離れているせいか、観光地されておらず細い旧中山道と共に


昔ながらの面影を残し、素朴な日本の情緒を感じることの出来る集落です。



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[藤原家住宅]は、改造はあるものの県内の民家で最も古いクラスとされる


江戸時代初期の古民家建築遺構として、昭和53年(1978年)


7月27日に、長野県の県宝に指定されました。



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台ヶ原宿 [宿場町]

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山梨県北杜市白州町:江戸幕府により制定された、東海道・中山道・日光街道・


奥州街道と共に制定された5街道の一つ甲州街道は、江戸日本橋から甲府まで


でしたが、慶長15年(1610)に中山道の下諏訪宿まで延長されました。



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甲州街道の宿場町として栄え豊かな伏流水に恵まれた台地上の[台ヶ原宿]、


大きな造り酒屋さんと和菓子屋さんが、往時の面影を残していました。



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旧新井家住宅 [宿場町]

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長野県上伊那郡宮田村、伊那街道で唯一江戸時代の姿のまま残された本陣。


伊那街道の始まりは、文禄2年(1593年)関ヶ原の戦いの7年前、


豊臣秀吉により飯田の地を治めるよう命じられた[京極高知(たかとも)]が、


道路整備に着手してからと言われ、一定の間隔で宿場を置きました。



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飯田から6番目になる宮田宿は、伊那街道の中でも重要な宿場でした。


この建物は宿場町のほぼ中央にあったものを移築復元しました。



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白須賀宿 [宿場町]

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 静岡県湖西市古見・・・・江戸日本橋から70里22町(約275km)の距離にある、
 
東海道53次の32番目にあたる宿場[白須賀(しらすか)]。
 
元の白須賀宿は坂の下に有ったのですが、宝永4年(1707年)の地震による
 
津波により、大多数の家屋が流されてしまった為、翌年坂上に移されました。
 
 
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 平坦だった東海道はここから一気に急勾配の[潮見坂]、登り切った所にある真新しい建物の
 
[おんやど白須賀]は、白須賀宿の歴史や文化に関する情報発信の拠点として活用されています。
 
 
 
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 頻繁に利用する国道1号線[浜名バイパス]、通行する度にきになっていた大橋下・・・・・・
 
 
 
淡水湖だった湖が室町時代の明応7年(1498年)8月に起きた大地震の高潮により砂州が決壊し、
 
遠州灘と通じ汽水湖となる。決壊した所は今切(いまぎれ)と呼び、浜名湖と太平洋を繋いでいます。
 
 
 
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中山道 妻籠宿 [宿場町]

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 江戸と京の都を結ぶ中山道は、山深い木曽路を通っていることから木曽路街道と呼ばれた。
 
 中山道69次のうち、江戸日本橋から数えて42番目となる[妻籠宿(つまご)]は中山道と
 
伊那街道が交わる交通の要として、古くから栄えていました。
 
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 妻籠宿は全国で初めての、集落町並み保存に着手し、昭和43年より寺下の町並みを中心に
 
復元保存工事を始め、江戸時代の面影を残す事が出来ました。
 
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 江戸時代の初めに制定された宿場は、一種の城塞の役割を持たされて整備され、宿場の出入り口には
 
必ず街道を2度直角に曲げる枡形が設けられ、外敵が侵入しにくい様に造られていた。
 
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赤沢宿 [宿場町]

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北部と西部を南アルプス、東部を櫛形山系、南部を身延山地に囲まれた山間地域のほぼ中央を
 
町名の由来となった、富士川の支流早川が貫流しています。
 
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南アルプスの麓、硯で有名な雨畑地区にある落差55mの見神(けんじん)の滝
 
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山梨県内で最も西にある南巨摩郡早川町、七面山に源をもつ早川の支流である春木川沿いの
 
標高500m~600mにかけての急斜面に集落がある赤沢宿。
 
身延山と七面山を結ぶ巡礼道の途中に、今も江戸時代の面影を残す講中宿です。
 
1993年に重要伝統的建造物群保存地区として選定されました。
 
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中山道・馬籠宿 [宿場町]

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岐阜県中津川市馬籠の[馬籠宿]は、中山道の日本橋から数えて43番目の宿場、

木曽11宿では一番南の宿場で標高約600mに位置し、宿場の長さは約600m、

石畳の敷かれた坂道沿いに400年の古き良き面影を今も残しています。

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小説[夜明け前]で知られる文豪[島崎藤村]の故郷でもあり

大自然に抱かれた宿場町です。

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馬籠峠を越えた信州側の妻籠宿まで約8kmの石畳は、絶好のハイキングコース

として有名で、終日たくさんのハイカーで賑わっています。

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この日、展望台から見えた恵那山は、頭にうっすらと冠雪していました。

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中山道・奈良井宿 [宿場町]

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長野県塩尻市奈良井は戦国時代武田氏の定めた宿駅となっており、

集落の成立はそれよりさらに古くからと考えられます。

慶長7年(1602)江戸幕府によって伝馬制度が設けられて中山道

67宿が定められ、奈良井宿もその宿場の1つとなりました。

奈良井宿は中山道最大の難所といわれた鳥居峠をひかえ、峠越えに

そなえて宿泊する旅人が多く、[奈良井千軒]とよばれ旅籠の軒灯、千本格子

など江戸時代の面影を色濃く残した町並みが形成されています。

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奈良井川沿い約1kmにわたる中山道69次の34番目(江戸から数えて)

の宿場町で木曽路11宿の中で一番標高の高い位置にあります。

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奈良井宿内には6箇所の水場があり水の豊富な事が伺え、飲料や

洗い物だけではなく建物が密集している中、火災の延焼防止になっている。

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当時の街道の面影を知ることができる古道と杉の巨木

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舞阪宿 脇本陣 [宿場町]

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浜松市西区舞阪町の[舞阪宿]は江戸から30番目の東海道の宿場で

東西交通を結ぶ[今切渡し]の渡船場でした。

天保9年(1838)建築とされる脇本陣[茗荷屋]は平常は旅篭屋ですが

大名の供が多いときには本陣を補いました。

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唐破風柿葺屋根(からはふ こけらぶきやね)は江戸時代

本陣と名の付くものだけに許された屋根付き玄関

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[上段の間]は位の高い人が宿泊されるとき使う部屋で畳が重ねあわされており

縁の下から槍で突かれても致命傷にならない構造になっています。

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江戸幕府が慶長9年(1604)に東海道等の街道に松や杉を植えさせた

時から現在まで続く松並木と舞阪宿北雁木(がんげ)常夜燈

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三州足助 [宿場町]

愛知県豊田市の東側に位置する足助町(あすけ)は、紅葉で有名な[香嵐渓]の所在

する町で、その昔三河から伊那谷を通り信州へ至る道は伊那街道と呼ばれ

その宿場町として栄えた[足助宿]

当時の面影を残し古い家並みの残る町[足助]

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新年を迎えようとする町並みと黒い板壁と白の漆喰が美しい[マリリン小路]

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足助の町並みから徒歩で10分位の所に[三州足助屋敷]があり

民具を実際に使用し、中山間部の農家の生活を

再現している生きた民族資料館として広く知られている。

あいにく訪問日が木曜日だったため残念なことに休館、

営業日に再度来館し見学することとした。

  

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足助八幡宮は境内に[わらじ]の像が置かれ、その昔[足を助ける神]として

信仰されていた。室町時代の特色をよく表している本殿の創建は

白鳳2年(673年)と伝えられており1466年に再建

桧皮葺き(ひわだぶき)の屋根で三間社流造(さんげんしゃながれづくり)

は国の重要文化財に指定されている。

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足助町花[さざんか]の見事な巨木

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妻籠宿 [宿場町]

長野県木曽郡南木曽町妻籠宿(つまごじゅく)は木曽谷の南端、蘭(あららぎ)川

の東岸に位置し中山道42番目の宿場(中山道は69次)で

木曽路十一宿の中でもとりわけ江戸時代の

面影を色濃く残している宿場

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明応9年(1500)、悟渓   

尚により開山されたという瑠璃山光徳寺

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島崎藤村の母の生家妻籠宿本陣脇本陣奧谷

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素朴な民芸品

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