松山城は、海抜132mの勝山山頂に本丸、中腹に二之丸、山麓に三之丸を置く連郭式平山城で、
 
敵の侵入を防ぐため、二之丸を取り囲むように山腹から本丸にかけて、登り石垣が配置されています。
 
 
城の創設者は、[賤ヶ岳七本槍]で有名な[加藤嘉明]で、慶長5年(1600)の関ヶ原の戦いにおいて
 
徳川家康側に従事し、その戦功を認められ20万石となった嘉明は、同年7月に
 
伊予正木(愛媛県松前町)から道後平野の中央である勝山に城郭を移すため工事を着手し、
 
翌8年(1603)10月に居を新城下に移し、初めて[松山]という名称が公にされました。
 
城全体の完成は寛永4年(1627)頃といわれ、約26年の歳月をかけて築城されました。
 
 
            
 
 
        
 
 
 
 
 日本3古湯と言われる[道後温泉]は、愛媛県松山市に湧出する、日本国内でもひときわ古く
 
3000年もの歴史を持つとされている温泉です。
 
道後温泉本館は、戦前に建築された近代和風建築で、街のシンボル的存在であると共に、
 
1994年に国の重要文化財として指定されました。