平安時代末期から戦国時代に至るまで、瀬戸内海は[村上水軍]が支配していました。
 
[村上水軍]とは、伊予国の守護河野氏の支配下の[水師]で、瀬戸内海の芸予諸島の
 
因島・能島(のしま)・来島を中心に活躍した、海上の武装集団です。
 
 
 
広島県の因島を拠点とし、後に豊臣秀吉と対立した[能島村上氏]は、瀬戸内海から追放されますが、
 
[因島村上氏]は小早川隆景に属し、毛利氏の舟手組番頭として、その後も勢力を維持します。
 
 
 
 
          
 
           
 
 
 
 
 
[能島(のしま)村上水軍]は、中世後期に伊予の能島(大島)を拠点に活躍した武装集団で、毛利支配下の
 
水軍として織田・豊臣と対立、その後織田信長の死後、豊臣家と毛利家で和睦が成立した為立場が一変、
 
秀吉の施行した[海賊禁止令]に抵触したとされ、瀬戸内海より追放されました。
 
 
 
 
          
 
           
 
 
 
 
 
古来よりこの芸予諸島は、瀬戸内海を航行する船にとって最大の難所とされていました。
 
なかでも能島の周囲は、最大10ノット(時速約18km)にも達し、海に段差をつけ激しく流れ
 
渦巻く潮流は。500年前と変わる事無く今も荒れ狂っています。