浜松市北区引佐(いなさ)町井伊谷の萬松山 龍潭寺(りょうたんじ)は、天正5年(733)

行基菩薩開創、八幡山 地蔵寺に、始まると伝えられています。

寺の南に井伊氏祖共保公、出生の伝説を残す、八幡宮御手洗の井戸があります。

この寺域はもと井伊八幡宮の境内でしたが、500年前井伊氏がこの地に

龍泰寺(現龍潭寺)を造営しました。龍潭寺は井伊城南の

守り砦の役目を果たした歴史があります。

      

      

井の国を本拠としていた井伊氏は、平安時代より室町時代まで、遠江の代表的

国人領主として西遠地方を治めてきました。

井伊介を名乗り、鎌倉幕府に仕えて南朝方の皇子 完良親王(むねながしんのう)

を迎え北朝軍と戦い、室町時代今川軍が遠江に侵攻すると

果敢に立ち向かいましたが敗れ、戦国時代に入ると井伊家は受難の連続で

今川義元と共に出陣した、井伊家22代直盛は、桶狭間で戦死。

元禄5年に養子直親(なおちか)は今川の手で殺害され、やむなく龍潭寺南渓和尚は、

直盛の娘を[女性地頭]に立て、井伊家の急場をしのぎます。

元禄11年、徳川家康が遠州に侵攻、井伊谷を平定します。

天正3年、井伊家24代直政は、浜松城で家康に仕え見事に井伊家を再興しました。

          

          

堂内鶯張りの廊下、甚五郎作の龍の彫刻を見て、本堂裏の庭園に出る。

小堀遠州作の龍潭寺庭園は、東峰・中峰・西峰の3つの築山を設け、

東西に心地池が流れ、数多くの石組みによる枯滝が配置されています。