長野県木曽郡木曽町日義
 
木曽義仲公は、久寿元年(1154)源義賢(よしかた)の二男として武蔵の国大蔵館で生まれ、
 
幼名は駒王丸と呼ばれた。2才の時、伯父義朝の長子義平に父 義賢は攻め滅ばされ、
 
畠山重能(しげよし)と斎藤実盛(さねもり)の温情により、信濃の国・木曽に逃れ
 
任安元年(1166)元服、木曽次郎源義仲と名乗りました。
 
 
 
木曽義仲公や木曽氏に纏わる資料が、数多く展示 されている[義仲館]は
 
平成4年に開館した歴史資料館です。
 
          
 
          
 
山吹山の麓を流れる木曽川に、巴状に渦巻く 歴史漂うこの淵の伝説は、ここに住む
 
龍神が化身して、権の守中原兼遠の娘として生まれ、名を巴御前と云った・・・・・・・・
 
 
 
 
日照山徳音寺は木曽義仲一族の菩提寺で、若干31才にして平家追討の命を果たし
 
征夷大将軍に任じられた後、粟津が原で悲劇の生涯を終えた、武将義仲の霊が眠る。
 
 
山門は装飾的な無駄のない簡素な美しい重層楼門です。
 
    
 
                           
 
 
 
中山道のほぼ中間にある福島関は、江戸幕府が江戸防衛の為に、5街道の各所に
 
張り巡らした50ヶ所にのぼる関所の内で、東海道の箱根・新居や中山道の
 
碓氷などと並び天下の4大関所の一つでした。