東山道(あずまやまみち)は、古代の律令による官道の1つで、近江(滋賀県)を起点に
 
美濃(岐阜県)を経て、陸奥・出羽の国(東北地方)に、通じていたとされています。
 
 
        
 
 
 平安時代初期の弘仁8年(817)に、天台宗開祖の最澄が、東国布教の為に美濃の坂本から
 
神坂峠を越えて信濃に入ってきましたが、阿智までの道程は長く、予想以上に困難であった為、
 
峠の信濃側と美濃側の両方に、旅人を救済するための布施屋、[交拯院(こうしょういん)]と
 
[広済院]をつくりました。月見堂が広拯院跡と伝えられています。
 
 
 
 
 長野県下伊那郡阿智村園原の里は、神坂峠を越えて最初の人里で、古き東山道の面影を残す集落です。
 
最澄ゆかりの地として、平成12年[信濃比叡]の呼称が許され、整備が進行しています。