愛媛県喜多郡内子町石畳地区の麓川上流には、かつて30数基の水車が有りました。
 
その姿を再現しようと地元の人々が復元した[石畳清流園]には、3基の水車が蘇り
 
農家の方の管理により、昔ながらの精米や脱穀が行われています。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 小道を登ると、伊予の国の豪族といわれた、河野通直の子孫である河野宗賢が
 
応永3年(1396)に創建したとされる、弓削神社が小池の奥に鎮座しています。
 
河野城主が石畳を離れる際に、天山城(中山町永木)の南方にあたるこの地に、
 
河野家先代の支配下にあった弓削島の弓削神社から、祭神を勧請し神社を
 
自らの城に見立てて廻りに池を築き、中央に橋を架け祀ったとされています。