遠州の小京都といわれる静岡県周智郡森町(もりまち)は、古くから遠江国(静岡県)と
信濃国(長野県)を結ぶ[塩の道]と呼ばれる街道が通り、山中一円の物資の交易や
集積地として、また古着の町としても栄え街道筋や路地裏に今もその名残を見かけます。
天正2年(1574年)徳川家康は、武田方天野氏居城(犬居城)を攻撃、あいにくの大雨により
気田川が増水し進軍出来ず、兵糧も尽き果てた為に余儀なく軍勢を引き上げる。
地の利を活かした天野軍の追撃を受け、命からがら逃げ延び[天方城]に辿り着きますが
一の瀬の地で、[鵜殿 藤五郎 光成]をはじめ多くの武将を失う負け戦でした。