岐阜県瑞浪市日吉町: 江戸から48番目、京から22番目に位置する[細久手宿]。


中山道の開設時、東の大湫宿(おおくてしゅく)から西の御嵩宿(みたけしゅく)間の


道程が四里半(約17.7km)もあったことから、尾張藩によって設置されました。


慶長11年(1606)の開宿当初は7軒家と呼ばれる小さな宿場、その後放火により


全焼したものの、慶長15年に正規の宿場として再整備され戸数65軒を数えました。


(宿場は仮宿のほか3度にわたり大火に見舞われ、現在の町並みは安政の大火以降形成)



    




庚申堂(こうしんどう)は宿内はもとより、近郷や旅人からも


[細久手のこうしんさま]として、親しまれたお堂です。






  




山丘上に有りながら常時水をたたえている不思議な[弁財天の池]