静岡県浜松市西区雄踏町宇布見に所在する、中村家の初代中村正範は、源頼朝の実弟である
 
範賴の末裔の武士で、大和国広瀬郡中村郷に住んでいました。
 
文明13年(1481)に、14代正實(まさざね)が今川氏に招かれ、遠江国磐田郡大橋郷に
 
領地を賜りその後、敷知郡和田・平松・宇布見・山崎・大白須の5ヶ荘が与えられ、
 
16世紀の今川時代には、同氏の家臣として代官職を勤め、浜名湖の軍船を支配していました。
 
 
           
 
 
 江戸時代、式台や玄関と同じように、一定の格式ある家に建てられたもので、
 
安永4年(1775)、屋敷南側に建築されたが、その後に屋敷南側に移設された。
 
 
 
 
 重要文化財に指定されている主屋は、約3,000㎡の屋敷の中央に建つ、寄棟造り茅葺き平屋建
 
の建物で、規模は間口21,3m・奥行11,2m平面積238,7㎡の大規模な造りです。
 
茅葺きの材料は葭葦(よしがや)を使用し、僅かに丸みをつけた屋根が美しい。
 
 
 
      
 
      
 
 
 胞衣(えな)塚は、天正2年(1574)2月8日に、徳川家康の側室[お万の方]が家康の第2子である
 
於義丸(後の結城秀康)を、当屋敷で出産した時の胞衣(後産)を埋めた現存している塚です。
 
貞享(じょうきょう)5年頃、江戸で制作された石燈籠は、日本橋に住んでいた中村清兵衛から
 
海上輸送により、中村家に贈られたものです。