愛媛県松山市東方町に所在する渡部家住宅、もともと渡部家は現在の
 
愛媛県東温市南方(旧川内町南方)代々庄屋を務める家柄でした。
 
 
江戸時代末期に現在の松山市東方町(旧荏原村)において、年貢米が松山藩に上納されない
 
状況となり、松山藩主の君命により当時の南方渡部家の3男渡部操長綱(みさお ながつな)が
 
村経営立て直しのため、入り庄屋として天保15年(1844)にこの地に分家、村再建に成功した。
 
 
 
 
 
 
 
 この建物が建てられた江戸時代は士農工商の時代であり、侍の家は瓦葺きで百姓の家は
 
茅葺きが原則であり、渡部家は越屋根を茅葺きとして、農家で有ることを象徴しています。
 
 
 
 
 
 
 珍しい唐破風の屋根と庄屋の財力と威厳を示す、玄関土間の上の太い梁
 
 
           
 
 
 
 
この建物は昭和45年(1970)国により重要文化財に指定されました。