苛睡斎 [神社・仏閣]
曹洞宗萬松山可睡斎
徳川家康は武田信玄との戦いで武田勢に追われこの寺の洞穴に
隠れ命拾いした。
後に浜松城主となった家康は報恩の為、城に招いた
仙麟等膳大和尚(せんりんとうぜんだいおしょう)が席上で
居眠りを始めた。その姿を見た家康は和尚の安らかな親愛の
心を悟り、和尚に「睡、(ねむ)る可(べ)し」
(御前にて眠っても無礼では無いとの意)
と言い、可睡和尚と愛称せられ寺号も東陽軒から可睡斎と改名
後に十万石の待遇と徳川幕府最初の
僧録司(そうろくす)という職を与えられた。
口を結んだ吽形像(左)と開口の阿形像(右)の金剛力士が守る山門
経典が収められている輪蔵と武田勢に追われ隠れて
命拾いしたと言う伝説の洞穴
曹洞宗萬松山可睡斎本堂
学校研修や企業研修の会場また宿泊もでき、旬の食材を
用いて作った心と身体に優しい
真心のこもった本物の精進料理が味わえる。
可憐なツリガネニンジンと白い彼岸花
2011-10-06 20:52
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