相良油田の里公園 [産業遺産]
静岡県牧之原市菅ケ谷:相良油田は明治5年(1872)、徳川家旗本村上正局が
海老江で石油を発見したことから始まった太平洋岸で唯一の産油地で、翌年の
明治6年に日本の石油王[石坂周造]により菅ケ谷で開坑し採油が始まりました。
当初は手掘りによる掘削でしたが、この年の10月には米国製の綱堀機により
日本で最初の機械堀りを開始、最盛期の明治17年頃(1884)には年間に
721kl(ドラム缶で約3600本)が産出され、明治から昭和にかけての
約80年間採油されていましたが、昭和30年頃に全ての事業を閉じました。
相良油田の原油は、ガソリンや灯油を多く含んだトップクラスの原油です。
蔦の細道 [街道]
静岡県静岡市駿河区宇津ノ谷:[蔦の細道]は丸子宿と岡部宿に挟まれた宇津ノ谷峠越えの
最古の道で、平安時代から豊臣秀吉が天正18年(1590年)小田原攻めの際に西側に
新しい道をを開くまで、約700年間にわたり官道として多くの人行き交った古道です。
峠は標高210m、勾配24度で歩きにくい石畳、道のりは1500m足らずですが、
万葉の頃から多くの旅人が利用したと思うと、当時の人々の健脚には改めて驚いた。
旧東海道や現在は国道1号のトンネルが貫通し一変しましたが永久に残したい道です。
方広寺 半僧坊 [神社・仏閣]
静岡県浜松市北区引佐町奥山: 深奥山(じのうざん)方広萬寿禅寺は、
建徳2年(1371)後醍醐天皇の皇子無文元選禅師により開創された禅寺です。
60ヘクタールの広大な境内には、本堂や半僧坊真殿・3重の塔など10余棟の
伽藍を擁し、国や県また市の有形文化財14点を所有する東海屈指の古刹です。
大正12年(1923)京都の実業家で山口玄洞氏の寄付により建立された
3重の塔、第一次大戦中に財をなしたが好景気の内に商売を手控え、戦後の
不況の折にも社業は発展したという・・・・この3重の塔は[倒産避けの塔]
として、全国から財界人や経営者がお参りに訪れるという・・・・・・?
参道脇に大小様々な羅漢様が点在する、五百羅漢は釈迦入滅後に教典編集の
第1・第4編集の際に500名の仏弟子が集まったことに由来するとのこと。
早春のビタミンカラー [地域]
愛知県田原市:東三河の太平洋に面した全長約50km・幅5~8kmの
細長い渥美半島、農業や花の生産が盛んな所で半島全体が田原市です。
百々(どうどう)海岸は、半島南端の日出の石門(ひいきのせきもん)から
浜名湖まで約52kmに渡って緩やかに湾曲した長い砂浜が続いています。
田原市では、露地栽培から施設園芸などへの転換により遊休農地が増加
していたが、農業委員会員自らが解決策として荒れた農地を手入れし、
早咲きの菜の種を蒔き菜の花畑に変え[田原菜の花プロジェクト]推進の
キッカケを作り、今では市内に100箇所以上の菜の花畑が点在します。
2021迎春 [海・岬]
新年明けましておめでとう御座います
良いお年をお迎えのことと存じます
旧年中は大変お世話になり誠に有難う御座いました
本年もどうぞ宜しくお願い申し上げます
令和3年 元旦
静岡県御前崎市御前崎: 江戸時代より航海の安全を図る避難港だった御前崎港。
現在は拡大され漁港のみならず、コンテナターミナル等物流の拠点となっており、
世界に向けた多目的港とて地域の経済発展に大きな役割をはたしています。
御前埼灯台は岬の最南端に立つ白亜の美しい様式灯台で、イギリス人技師の
監督のもと1874年に初点灯し、強風や嵐にも屈することはなく凛として
立ち続け、その美しい姿を保ち連日連夜、海の安全を守っています。
最高の波が楽しめることでサーファーには有名な御前崎海岸、新年早々
強風を物ともせず果敢に(私から見れば無謀)荒波に挑戦・・・・
お~~~~寒~~~~~