日坂宿 [宿場町]
令和元年、お忙しいところ沢山のご訪問並びにNICEやコメント有難う御座いました。
フルタイムパート勤務の傍ら、週末投稿の拙いブログにお付き合い下さいまして、
心から御礼申し上げますと共に、後半力尽き同じような投稿の記事になりました。
この記事が今年最後の投稿となりますが、来年も引き続き宜しくお願いします。
静岡県掛川市日坂:[日坂宿]は東海道3大難所の1つ[小夜の中山峠]の
西麓に位置し、江戸から54里余りにある宿場で天保4年(1843年)の
記録によると、家数168軒・人口750人・本陣1軒・脇本陣1軒・
旅籠33軒があり、大井川の川止めや参勤交代などで賑っていたようです。
旅籠[川坂屋]は、寛政年間(1789~1800)の創業と伝えられ、
日坂宿では一番西にあった旅籠屋、精巧な木組みと細かい細工の格子が
特徴的で、当時建築にあたり江戸より棟梁を招いて建造したようです。
[小夜の中山]に伝わる[夜泣石]の伝説は幾つか有りますがその一説、
むかし久延寺に安産祈願のために参詣した、お石という女が中山峠を
超える途中で山賊に襲われ殺害され、お石の魂魄は側にあった丸石に
乗り移り夜毎に石が泣いたことから、里人たちは皆[夜泣石]と呼んだ。
傷口から生まれた子供は、久延寺の和尚が育て母の敵討ちを成し遂げた。
その後弘法大師がこの話を聞き、石に仏号を刻み立ち去ったという話。
高根白山神社 [有形文化財]
静岡県藤枝市瀬戸ノ谷: 高根山麓の蔵田集落から高根白山神社へ登る
参道の入り口に、凛として立つ雄大な御神木のスギの大木[鼻崎の大杉]。
樹高27.5m・根廻14.5m、根廻の太さは県内有数の大きさ、
静岡県指定の天然記念物に指定され大切に護れれています。
参道入口から徒歩で1時間弱、参道はコンクリートで舗装され車でも
上がれますが、敢えて(メタボ解消のため)徒歩にて参詣しました。
[高根白山神社]は、平安時代の文治4年(1188年)に、加賀国
白山比咩神社より、蔵田寺の愚白上人が勸請したと伝えられています。
三間社流造(さんげんしゃながれずくり)の本殿の建築様式から、
江戸時代前期の建築とされ、藤枝市指定の有形文化財です。
滝沢展望台 [景勝地]
静岡県浜松市北区滝沢町: 年末になり何かと多忙な日々、見上げる青空に
誘惑されるが遠出もままならず、次郎柿の買い出しを兼ねて浜松市街の北部
にあり、数機の風力発電の風車が建っている滝沢展望台に出かけてみました。
細くすれ違いも出来ない急勾配の道を登った標高300mの展望台眼下には、
浜松市内や先の遠州灘まで見渡せる絶景スポットで夜景が素晴らしいとか・・・・
どうだん原と智満寺 [重要文化財]
静岡県島田市千葉: 国の重要文化財に指定されている[千葉山 智満寺]の
参詣道として今も残っている[伊太丁仏参道]ハイキングコースの途中にある
[どうだん原]は、約8千本にも及ぶ県下有数のドウダンツツジ群生地です。
春にはスズランの花に似た白い釣り鐘状の花を咲かせ、秋には真っ赤に紅葉し
針葉樹林を赤く染め上げますが、残念なことにその見頃は過ぎていました。
奈良時代宝亀2年(771年)、鑑真和上の孫弟子にあたる廣智上人により
創建された、比叡山延暦寺を総本山とする[千葉山 智満寺]は、源頼朝を
はじめ戦国武将の今川氏・徳川氏から帰依を受け手厚く保護された古刹です。
茅葺屋根の本堂は国の重要文化財に指定されており、奥の院に点在する樹齢
800~1000年の老杉や、多くの貴重な文化財を今に伝え残しています。
勝坂~山住 [渓谷]
静岡県浜松市天竜区:県道389号線は、周智郡森町から浜松市天竜区水窪を
結ぶ一般県道で、その道幅は1.5車線と狭く落石の多い(県道)険道です。
天竜区春野町の勝坂神楽の里、赤い吊橋の向こう側に昭和43年(1968)に
廃校となった旧周智郡立勝坂小学校の木造2階建て校舎が目に入ってきます。
無人の校庭に立つと、山々にこだまする子供達の声が聞こえてきそうです。
気田川沿い約5kmの明神峡、新緑や紅葉時期は絶景ポイントが多く
素晴らしいのですが、道幅が狭い[険道]のため駐車スペースは無く
時々横目で見ながら通り過ぎるだけで、撮影どころでは有りません。
標高1107mの山住峠に鎮座する[山住神社]は、和銅2年(709)に
伊予国(現愛媛県)の大山祇神社より分霊されその後、養老元年(717)
元正天皇に勅願されたという由緒ある神社で、境内に聳え立つ2本の大杉
[山住の千年杉(推定樹齢1300年)]は、県の天然記念物になっています。