ぶらり奥大井 [里山・郷]
千框(せんがまち)の棚田 [里山・郷]
Slowly Life [里山・郷]
星空と緑と清流の里 [里山・郷]
信州で2番目に山奥の村 [里山・郷]
信濃比叡園原の里 [里山・郷]
安倍奥・井川 [里山・郷]
ならここの里 [里山・郷]
豊穣の千枚田 [里山・郷]
南信州・遠山郷 [里山・郷]
古くから遠山郷と呼ばれ、南アルプスと伊那山地に囲まれた、長野県南部の上村は
2005年10月1日に、南信濃村とともに飯田市へ編入合併しました。
秋葉街道の要所に位置した、木沢地区の旧木沢小学校は、昭和7年に建造された
木造の校舎で、生徒数は昭和20年に310名、昭和34年に260名を数えましたが
その後減少し、平成3年に休校となった時点の生徒数は26名でした。
平成11年に廃校が決定し、その後常設の資料館として再生させようとしています。
日本のチロルとやばれる[下栗の里]は、南アルプスを望む標高800m~1000mの
傾斜30度の急斜面を切り開き、芋類・雑穀類・豆類やしいたけ等を収穫し
これらから、いも田楽や豆腐といった加工品を生産しています。
標高1900mにある[しらびそ高原は]、目の前に3000m級の南アルプスの
山々や中央アルプスまで望める360度の大パノラマが楽しめます。
南アルプス連峰
中央アルプス(木曽駒ケ岳)
いやしの里 川根 [里山・郷]
静岡県の中部、大井川を挟むように茶園が広がる銘茶[川根茶]の産地
として知られる川根町。 静岡市と浜松市に隣接し、北は長野県境となり、
南アルプス南部の山々が織り成す四季折々の顔を持つ美しい町です。
塩郷の吊り橋[恋金橋(こいがねばし)]は大井川に架けられた吊り橋で
一番長く、全長220M、高さ11Mの吊り橋です。
橋の下を大井川鐵道 が通り、吊り橋の上からSLが見えます。
島田市笹間下の[やまめ平]は、標高450Mの大自然の中に位置し、
渓流をアレンジした釣り池で、渓流の女王ヤマメ釣りが楽しめます。
大井川鐵道の駿河徳山駅の傍にある[ときどんの池]は、終戦以来50年余り、
荒れ放題で放置されていた水田を、区民一丸となり再生し憩いの場としました。
奥三河・稲武町 [里山・郷]
長野県下伊那郡根羽村の、茶臼山付近」を水源とする矢作川は、三河地方で
豊川と並ぶ大河川で、豊田市内で巴川と合流し、濃尾平野東部を
通過しやがて三河湾に注ぎでます。
[押川大滝]は、矢作川支流の名倉川の水が集中して流れ落ちる高さ約8mの
ダイナミックな滝で、巨大な滝つぼに落ちる水音は圧巻です。
紅葉の名所として知られる北設楽郡(きたしたらぐん)は、寒暖の差が大きく
鮮やかな色彩の紅葉で埋め尽くされていました。
火防(ひぶせ)の神の町 [里山・郷]
浜松市の北方に位置し、天竜川と大井川の中間、面積252.8平方kmという
広大な区域の大半が赤石山脈に属する、浜松市天竜区春野町。
山間地の清流は気田(けた)川に集まり、美しい流れと自然に覆い尽くされ、
緑と何処までも澄み切った空気につつまれた天狗の町春野。
天狗広場に設置された天狗面は、縦8m・横6m・鼻の長さ4mで
日本一大きい天狗面です。
ここ春野町は[秋葉の火祭り]で知られた秋葉山があり、天狗伝説も
あることから、昭和60年に開催された神戸ポートピアの時
建てられたものを、翌年譲り受けたものです。
春野町和泉平の山間にある[新宮池]は夏でも枯れることのない
湧き水を源泉とする神秘的な池です。
モリアオガエルやトンボ、野鳥や動植物の宝庫として知られています。
この池は、竜蛇伝説や長野県の諏訪湖と
地底が繋がっているという言い伝えがあります。
行基菩薩が春埜山大光寺の開山の際に植えられたものと伝えられていて
県の天然記念物に指定されている[春埜杉]
樹齢:推定1,300年
樹高:43m
目通り:14m
枝張り:31m
つくで 歴史の小径 [里山・郷]
愛知県新城市作手(つくで)のつくで手づくり村は、山村と都市の交流拠点として
市内で採れる農産物や加工品の販売を行うと共に、木工・手芸・郷土料理作りや
トマトのもぎ取り体験等できる施設が有り、[生業]に
直接触れる事の出来る総合施設です。
天授年中(1375~80)上野国甘楽郡奥平郷より奥平貞俊が作手に至る。
作手領主、山崎三郎左衛門高元を頼り、鴨ヶ谷甘泉寺に寓居し
勢力、人望を得て川尻城を築き、さらに亀山城を築城する。
翔龍山甘泉寺は応安3年9月(1370)に臨済宗二十世
弥天永釈大和尚(みてんえいしゃくだいおしょう)により開山された。
時の将軍足利義満公の帰依もあり、御朱印高四十八石
山林境内二十余町歩の寄進があった。
和尚の没後、応永二十二年(1316)称光天皇より
[見性悟心禅師けんしょうごしんぜんし]の謚号を賜れる。
境内には織田信長が葬ったとされる長篠合戦の殊勲者、
鳥居強右衛門勝商の墓碑がある。
境内にある1972年3月30日に国の指定を受けた天然記念物のコウヤマキ
樹齢推定:600年
樹高:27m
目通幹囲:6m30cm
根廻り:8m55cm
石橋城址
面ノ木原生林 [里山・郷]
愛知県豊田市稲武(いなぶ)町の標高1、000mを越える天竜奥三河国定公園内
にブナを中心とした原生林が残っている。
森の中には ブナ、ミズナラ、カエデ類など多くの大木が生育し
新緑や紅葉はもとより 冬の氷点下冷えた空気中の細かな水滴が
木の枝に付き凍った樹氷も見られ四季折々の景色が楽しめる。
北北西の強い風が吹く高原牧場の中に[面ノ木風力発電所]が建設されました。
ドイツ エネルコン社製で発電能力は1基600kwが3基で
合計1,800kw、2005年2月から稼動しています。
道の駅[どんぐりの里いなぶ]は国道153号線の武節町にあり
稲武地域周辺の歴史や文化に巡り会える場所です。
隣接地には[どんぐりの湯]があり温泉情緒を味わえます。
奥三河豊根村 [里山・郷]
愛知県東三河北部(奥三河)に位置し 長野県、静岡県の県境に隣接する
北設楽郡(きたしたらぐん)豊根村は総面積の93%が山林で占められ、
年間平均気温は約13℃と冷涼な気候であり、
大小の清流が渓谷美を織りなしている。
自然体験施設[大入の郷(おおにゅうのさと)]は、わら細工や
五平餅作り、蕎麦打ちなどの山里体験が出来る他
宿泊も可能で研修や合宿にも利用されている。
愛知県の最高峰である茶臼山(ちゃうすやま)東麓を水源とする
坂宇場川(さかうばがわ)と茶臼山南麓を水源とする津具川(つぐがわ)
が豊根村上流付近で合流して大入川(おおにゅうがわ)となり
ダムに入る。このダムで形成された人造湖はみどり湖と命名された。
熊谷(くまがい)氏は室町時代末期頃、豊根に入り開村し江戸時代に
造り酒屋を営むと供に庄屋を勤めこの地域を取り仕切っていた家柄でした。
家屋は18世紀に建造されたもので、
昭和49年2月に国の重要文化財に指定された。
久留女木(くるめき)の棚田 [里山・郷]
静岡県浜松市北区引佐町(いなさちょう)の浜名湖北側の静寂な山並みに
溶け込んだ総面積7.7ha、27枚からなる石積みの棚田で
平安から室町時代がルーツといわれる歴史がある
静岡県を代表する美しい棚田
明治12年に開校した久留女木小学校も2010年3月20日で
100年余りの歴史に幕を閉じた。
鈴木家は19世紀初頭、浜名湖北岸から東三河地方にかけて
分布していた分棟形式の民家
牛代(うしんしろ)の水目桜 [里山・郷]
島田市川根町の大井川鉄道家山駅から約4km上流にある
塩本牛代(しおもと うしんしろ)の江戸彼岸桜
本州、四国、九州に自生する桜で、ソメイヨシノの交配種として
知られています。桜の中では寿命が長く数百年に
及ぶものもあります。
茶畑の中で淡紅色の花を咲かせ、堂々とした姿と気品で
見ごたえのある銘木です。
樹種:エドヒガン
目通り:4.2m
樹高:20m
樹齢:300余年
桜の名所として名高い川根町家山、大井川鉄道沿いの約1kmの道と
家山川沿いが桜でうめ尽くされている。
桜並木のすぐ脇をSLが走る場面に出会えば
感動もひとしおです。
玉露の里 [里山・郷]
静岡県藤枝市岡部町
品川から数えて21番目の岡部宿にある[大旅籠 柏屋]は天保7年に建てられ
旅籠と質屋を兼業し、かなり裕福であり岡部でも、柏屋 山内家は
屈指の名家でした。 160余年経た今も東海道沿線において
貴重な建物とされ、平成10年国の登録有形文化財に認定された。
岡部は宇治(京都)、八女(福岡)と並び日本玉露三大産地の
ひとつに数えられています。
朝比奈川沿いの茶室瓢月亭(ひょうげつてい)は緑につつまれ四季を通じて
さまざまな景色を楽しむ事ができる。
里山の風景が心を癒し 日本情緒たっぷりの中で、温もりを満喫
しながら気軽にお茶を楽しみ、幸せのひと時を過ごす。
朝比奈龍勢発射台とちゃっきり橋
遥か天空まで並ぶかまぼこ型の茶畑、[朝比奈玉露茶]の高級茶葉
を生み出すために新芽が出始めた頃、[こも]というむしろで
茶畑を覆うそうです。
藤枝市民の森近くの びく石山(石谷山)は茶摘に使用する
[びく]の形に似た巨岩が山頂に点在する。
広場から駿河湾を一望出来る。
油田の里 [里山・郷]
静岡県牧之原市片浜の相良平田港から静波海水浴場と富士
相良油田は太平洋岸で唯一の産油地で、明治6年菅ヶ谷に開坑し採油を開始
当初は手掘りによる掘削でしたが、この年の10月には米国製の綱掘り機により
日本で最初の機械掘りが行われました。
原油はガソリンや灯油分を多く含んだ極めて軽質で、世界的にも
稀で良質な原油、最盛期には年間721kl(ドラム缶約3600本)が産出
されていましたが徐々に衰退し昭和30年頃全ての事業を閉じた。
ピーク時240抗あった手掘り井戸 は1ヵ所もないが機械掘りの油井は
現存する唯一のもので深さ310mあり辺りにはガソリンと潤滑油を
混ぜたような匂いが漂っている。
油田の里公園内の[油田資料館]と手掘り井戸の上に建てられた小屋を
復元したもの、資料館内に展示されている当時の道具類
寒い館内の窓辺に咲いている花を見つけ、この寒中に[つくし]や[福寿草]が
咲いていると想い撮影し終えると、背後から資料館の職員さんが小声で
「それ、私たちが造ったのですよ」
非常に精巧でいわれるまで気づかなかったが販売している造花
花沢の里 [里山・郷]
静岡県焼津市と静岡市の境にある大崩海岸、駿河湾にせり出した橋道の向こうに
静岡市街地や晴れた日には日本平、富士山また伊豆半島を望む事が出来る。
焼津市北部の高草山と満観峰との山峡に万葉集にも詠まれた東海道
最古の[やきべつの小径]の途中にある[花沢の里]
奈良時代から平安時代に栄えたと言われる街道沿いには
長屋門造りの家並みが残り万葉の時代へと瞬間移動する。
高草山の麓にある天台宗の高草山法華寺(こうそうざん ほっけじ)は
奈良時代に行基が駿河の国国分尼寺として創建したといわれている。
法華寺脇の小径を登り満観峰へ開始からかなり険しい坂道、後半は比較的
だらだらと続く小径
頂上近くまで手入れされた茶畑を過ぎると満観峰山頂に着く
天気が良いと南アルプスの山々や富士山をはじめ
駿河湾越しに伊豆半島、遠州灘と360度見渡せる。
残念なことに朝下界で見えた富士は恥ずかしいらしく雲の中。
松平郷 [里山・郷]
愛知県豊田市松平町・徳川家のルーツである松平氏発祥の地として知られ
東に炮烙山(ほうろくさん)や六所山、西に
巴川の流れる豊かな自然に抱かれた山里、松平郷
松平東照宮は関が原の戦い後に松平氏の館跡に建てられた神社
天文11年12月26日に岡崎城において松平家康(後に徳川と改姓)が
生まれたとき太郎左衛門家七代当主親長が竹筒に詰め
速馬でこの井戸の水を運んで産湯に用いた。
香月院に続く緩やかな坂道沿いの室町塀と途中にある武家屋敷風の休憩所
日本人とは思えぬ風貌の松平太郎左衛門親氏の像
[香月院 ]・1367年足助次郎重完が子重政が在原信重の援護を
受けて建立したといわれる。
徳川家光により寄進された山門と家康お手植えの枝垂れ桜
龍谷の村 [里山・郷]
山岳茶園 [里山・郷]
千石平 [里山・郷]
国道151号を飯田方面へ新野峠を下り長野県伊那郡阿南町へ入る。
南信州に所在する阿南町は天竜川右岸にあり
中央アルプスと南アルプスに挟まれた山間地域で平成22年4月に
ドイツ発祥の「市民農園」を意味するクラインガルデンが誕生した。
関氏2代の盛国(もりくに)が父 盛春(もりはる)の菩提を弔う為に創建した
曹洞宗祥雲山 瑞光禅院
しぶかわつつじ [里山・郷]
浜松市から国道257号線を新城方面に北上、清流と緑の山々が連なる
豊かな自然に囲まれた美しい山里 「渋川」の町に入る。
清流都田川 田植え前の水田
1229年井伊直之公により開山建立された臨済宗宗方広寺派の東光禅院
静岡県の天然記念物に指定されている、蛇紋岩地帯にのみ自生する
[渋川つつじ]が群生した小山の公園が町の中央にある。
10分程小道を登ると山頂一帯に3枚の葉と3輪の花が輪生する
渋川つつじが一帯を埋め尽くす。
[てんてんゴーしぶ川]に隣接した管理棟兼食堂にて昼食、山菜そばを
いただくボリューム、味、値段、共に満足
水の町 [里山・郷]
四谷の千枚田 [里山・郷]
明治37年(1904)田植え後20日余り降り続いた雨により、鞍掛山の谷間にたまった泥土が
山津波となり、家屋や田畑が流出する大惨事になった。
その後村人達は立ち上がり、鍬とモッコで何年もかけて見事な棚田に復興した。
千枚田は大小合わせて1296枚の棚田がある。
手入れされた田植え前の棚田
涸れることのない小川 可憐なすみれ草
かろうじて猪から逃れた強運の竹の子
一カ月後 田植えの終わった棚田