SSブログ

乳峯山 慈廣禅寺 [神社・仏閣]

P7021154.JPG





愛知県新城市中宇利:愛知と静岡の県境近く、緑に囲まれた静かな山間の禅寺


[乳峯山 慈廣(じこう)禅寺]は、文明13年(1481年)に宇利城主


熊谷摂津守直利の寄進を享けて開基、後に聞庵道見大和尚により開山される。




P7021136.JPG



P7021131.JPG  P7021141.JPG





参拝者の方が「ここのお寺の蓮の花はきれいですよ」とのお言葉と、山門前の


お地蔵様に惹かれて山門を潜ると、たくさんの水鉢に綺麗に手入れされた


種類の異なった蓮が行儀よくお出迎え・・・・・


蓮の花の見頃は午前中がベスト、開花後4~5日で散ってしまう短命です。



P7021133.JPG



P7021152.JPG  P7021134.JPG



P7021140.JPG P7021153.JPG P7021146.JPG



P7021137.JPG P7021160.JPG P7021139.JPG


nice!(414)  コメント(4) 

火防(ひぶせ)の神 [神社・仏閣]

P6100938.JPG





静岡県浜松市天竜区春野町・・標高868mの秋葉山は、赤石山脈の最南端で


天龍川の上流に位置し、神の鎮まる御神体山として上古より崇敬されています。



P6100941.JPG

 



秋葉神社は今からおよそ1300年前の和銅2年(709年)の創建伝えられており


全国に存在する秋葉神社の総本宮として、県内外から多くの参拝客をで賑わっています。



P6100909.JPG   P6100912.JPG




P6100924.JPG





立派な桜門には、南部白雲作の青龍・朱雀・玄武・白虎の四神が睨みを利かせている。



P6100927.JPG      P6100928.JPG


P6100925.JPG      P6100926.JPG





 P6100935.JPG





P6100933.JPG P6100929.JPG P6100943.JPG

nice!(428)  コメント(16) 

鳳樹山 周昌院 [神社・仏閣]

P4020373.JPG






愛知県新城市玖老勢・[鳳樹山 周昌院]は、学童農園[山びこの丘]の裏手に


所在する曹洞宗の寺院で、14世紀前半の創建と推測されています。




P4020342.JPG   P4020347.JPG






貞享から元禄(1684~1704)の期間に建立されたと推測される山門は、


木造瓦葺きの四脚門で高さ6m 間口3.5m 奥行き2mの切妻造りです。


文政6年(1823)の火災で伽藍は焼失しましたが、山門は火の手を免れ


昭和53年(1978)3月9日に市の文化財指定されています。




P4020352.JPG



P4020362.JPG      P4020367.JPG






側にそびれる[ぶっぽうウォール]は、平成6年の愛知国体で使用された


フリークライミングの壁で、現在は老朽化の為使用されていません。


(実は国道を通過する度に目していた建物が気にかかり立ち寄りました)




P4020376.JPG







P4020363.JPG P4020382.JPG P4020371.JPG

nice!(413)  コメント(6) 

光岩山 長楽寺 [神社・仏閣]

P2049709.JPG
 
 
 
 
 静岡県浜松市北区細江町に所在する[長楽寺]は、真言宗高野山派に属し
 
平安時代初期の大同年間(約1200年前)に、弘法大師によって
 
開山されたといわれ、この寺の北に陽光を受けて光る巨岩を霊地とし、
 
お堂を建てたことに始まり、のち今川・徳川の信仰を集め繁栄したようです。
 
 
 
P2049686.JPG                   P2049610.JPG
 
 
 P2049666.JPG                    P2049635.JPG
 
 
 P2049649.JPG                   P2049645.JPG
 
 
 
 
 
作者は不明ですが、鎌倉時代に造られたと伝えられる馬頭観音が本尊仏です。 
 
 
P2049615.JPG
 
  
 
 
 ドウダンツツジが植えられた庭は、遠州3名園の一つに数えられ[小堀遠州]作の
 
回遊式庭園で、裏山中腹の光岩を借景に四季折々に表情を変える名園です。
 
また漆喰が剥がれ落ち、積まれた日干しレンガの土塀も必見です。
 
 
 P2049628.JPG
 
 
P2049636.JPG  P2049658.JPG  P2049661.JPG
 
 
 P2049674.JPG  P2049677.JPG  P2049681.JPG
 
 
 
P2049640.JPG                     P2049698.JPG 
 
 
 
 
 
 

nice!(473)  コメント(7) 

龍門山 石雲院 [神社・仏閣]

P1159553.JPG
 
 
 
 
 静岡県牧之原市の富士山静岡空港に隣接する古刹[龍門山 石雲院]は、今から
 
およそ五百数十年まえ、康正元年(1455年)崇芝性岱禅師により開かれた寺で、
 
開山にあたり勝間田城主が寺領を寄進し、以後は今川・武田・徳川の庇護をうけ
 
御朱印地153石を拝領する越格の名刹です。
 
過去に3度の火災にあい総門を残し焼失しましたが、復興し現在に至っています。
 
 
P1159544.JPG
 
 
 
 
朱塗りの門と白い築地塀が、周囲の森の緑に映える総門は、間口4.23m
 
高さ3.3mの観音開きで、正面上部には江戸時代の禅僧[月舟宗胡]の
 
筆による[大圓覚]の額が掛かり威厳を誇っています。
 
 
P1159547.JPG                  P1159545.JPG
 
 
 
 
 八脚の山門は火災により焼失しましたが、地元名主 板倉六郎左衛門により
 
嘉永年間に再建されたもので、日光陽明門を参考に建造されたと言われています。
 
 
P1159549.JPG                 P1159551.JPG 
 
 
 
 P1159524.JPG
 
 
P1159533.JPG                  P1159531.JPG 
 
 
P1159537.JPG                 P1159535.JPG
 
 
 
 
 
 P1159538.JPG       P1159529.JPG       P1159543.JPG 
 

nice!(462)  コメント(6) 

[直虎]の眠る寺 [神社・仏閣]

P9118656.JPG
 
 
 
 
静岡県浜松市北区引佐町、井伊谷川と神宮寺川が交差する遠州湖北の井伊谷は、
 
古代[井の国]と呼ばれ、古代人の遺跡が数多く残っています。
 
この井の国より[井伊氏]の元祖共保(ともやす)公が誕生し、井伊谷に600年の
 
歴史を刻んできました。  戦国時代、24代直政が徳川家康に仕え徳川四天王の
 
一人として大活躍し、後に彦根の地に出世します。
 
 
龍潭寺は名門[井伊氏]の菩提寺です。
 
 
 
P9118640.JPG
 
 
 
P9118679.JPG     P9118642.JPG
 
 
 
 P9118650.JPG     P9118645.JPG
 
 
P9118644.JPG  P9118653.JPG  P9118663.JPG 
 
 
 
※ここ龍潭寺の庭園は、大変有名ですが今回時間の都合上入園しませんでした。 

nice!(456)  コメント(9) 

奥山半僧坊・哲学の道 [神社・仏閣]

P5087756.JPG
 
 
 
 
 
 静岡県浜松市北区引佐町奥山、建徳2年(1371年)後醍醐天皇の皇子[無文元選禅師]によって
 
 開創された[深奥山 方向萬寿禅寺]は臨済宗方広寺派の大本山で、東海地方を代表する禅寺です。
 
 
 
 
P5087761.JPG       P5087762.JPG 
 
 
 
 
 
山門をくぐり小川に沿って行くとやがて分岐に差し掛かり、上(右)の道は[羅漢坂]を通り本堂、
 
小鳥の囀りを聞きながら下(左)の道を進むと沢山の羅漢様の中に[哲学の道]の石碑・・・・・
 
 
京都東山銀閣寺から南禅寺疎水沿いにある[哲学の道]を西田幾多郎先生が好んで散策
 
されたことにちなんで、西田哲学を継承する大井官長が付けられたそうな・・・・・
 
 
 
 P5087768.JPG
 
P5087772.JPG          P5087773.JPG
 
 
 
 P5087770.JPG           P5087774.JPG
 
 
 
 
 
 
 P5087775.JPG P5087804.JPG P5087820.JPG
 
 
 P5087778.JPG        P5087816.JPG
 
 
 
 
 
 
     
 
 
 
 
 

nice!(521)  コメント(9) 

応声教院 [神社・仏閣]

P3137012.JPG
 
 
 
 
 
 静岡県菊川市中内田の[松風霊山 応声教院(おうしょうきょういん)]は斉衡2年(855年)
 
比叡山の名僧慈覚大師により、文徳天皇の勅願所とする天台宗天岳院として
 
創建され、後に浄土宗を改宗した[法然上人]が天台宗を浄土宗に、
 
天岳院を[応声教院]に改名したと伝えられています。
 
 
 P3137001.JPG       P3137003.JPG
 
 
 
 
 
桃山時代の作風を伝える朱塗りの山門は、間口7.8m奥行き3.6m切妻造りの脚門で、
 
寛永3年(1628年)徳川秀忠により、静岡市の名刹[宝台院]に建造されたものを、
 
大正7年(1918年)ここに移築され、昭和29年に国の重要文化財に指定されました。
 
 
 P3137002.JPG
 
 
 
P3137013.JPG        P3137008.JPG
 
 
   
 
 
 沢山の呑んべぇ供養の為に建立した[のんべえ地蔵]、2tonの石を彫ったお地蔵様が
 
直径2mの酒樽のお堂に入っていますが、中にはたくさんのトックリが・・・・・・
 
 
 P3137009.JPG
 
 
P3137006.JPG P3136997.JPG P3137011.JPG 

nice!(494)  コメント(7) 

結願 [神社・仏閣]

PA106050.JPG          P9292205.JPG
 
 
 
 
 昨年、四国八十八箇所の霊場を1番から88番まで順打ち、40日以上を費やし88番大窪寺にて満願。
 
当初から高野山のお礼参りも計画していた為、時間は空きましたがやっと高野山奥の院にて、お大師様に
 
巡礼の無事を報告し[結願]、全ての道程を終了いたしました。
 
 
  
 和歌山県伊都郡高野町、山上のほぼ中央にあり[弘法大師 空海]が開創した、全国に
 
約3600ヶ寺の末寺を有する、高野山真言宗の総本山[金剛峯寺]
 
 
 
 
 PA036044.JPG
 
 
PA035986.JPG          PA035985.JPG 
 
 
 
 
 
 [奥の院]、一の橋から弘法大師御廟まで約2km、参道両側に林立する樹齢数百年の杉木立に
 
寄り掛かる様に、歴史に名を残す諸大名など20万基以上の夥しい墓碑や供養塔が立ち並び、
 
老杉の合間から差し込む神々しい光を浴びた墓石群からは、長い歴史が滲み出ていました。
 
 
 PA036011.JPG
 
 
PA035999.JPG          PA036022.JPG 
 
 
 PA036009.JPG
 
 
PA036005.JPG PA036026.JPG PA036041.JPG 
 
 
 
 
※いつの日か、もう一度四国八十八箇所を周ろうと思っています・・・・・・・
 

nice!(501)  コメント(24) 

宝積山(ほうしゃくざん)光前寺 [神社・仏閣]

P8145462.JPG
 
 
 
 
 
長野県駒ヶ根市の樹齢数百年の杉林につつまれた[光前寺]は、かつて信濃5大寺の
 
1つに数えられた天台宗の古刹で、貞観2年(860年)に開創され
 
学問寺として、また天台密教の修養地としても非常に重要でした。
 
 
 
 P8145463.JPG
 
 
 P8145522.JPG         P8145478.JPG
 
 
 
P8145495.JPG
 
 
 
 
 
その昔、光前寺で飼われていた山犬[早太郎]が、遠江の見附村で怪物を退治し、
 
其の時に深い傷を負った早太郎は、光前寺に辿り着き息を引き取ったという・・・・
 
本堂の横に[早太郎]が祀られているお墓がありました。
 
 
 
P8145503.JPG            P8145500.JPG
 
 
P8145510.JPG
 
 
 
 
 
 参道に続く石垣の石と石の間には、日光を反射して神秘的な光を放つ[ヒカリゴケ]が
 
自生していることでも知られていますが、上手く写せませんでしたm(__)m
 
 
 P8145531.JPG
 
 
P8145524.JPG           P8145473.JPG
 
 
 P8145527.JPG           P8145538.JPG 
 
 
 
 

nice!(499)  コメント(8) 

尹良神社 [神社・仏閣]

P7255282.JPG
 
 
 
 
 
愛知県の最奥部北設楽郡豊根村坂宇場、ここは昔川宇連(かおれ)村でしたが、明治8年10月
坂場と合併し坂宇場村となり、今は豊根村大字坂宇場となりました。
渓流赤芝川脇に鎮座する川宇連神社(旧尹良神社)は、尹良(ゆきよし)親王を祀る尹良神社
という名でしたが、昭和45年に諏訪神社と合祀され川宇連神社と改名されました。
 
 
 
 P7255278.JPG
 
 
 
P7255281.JPG        P7255283.JPG
 
 
 
 
南北朝後、南朝の事蹟の多くは隠滅されているそうですが、尹良(ゆきよし)親王は、
後醍醐天皇の皇子である宗良親王の第2子に当たり、ご生母は香坂高宗の娘と
されていますが、皇統譜に其の名は著われず、伝説の親王と言われているそうです。
南信・東濃・奥三河などわずかに分在する[ハナノキ]の県下唯一の自生地だそうです。
 
 
 
P7255284.JPG             P7255280.JPG
 
 
 
 P7255311.JPG        P7255312.JPG 
 
 
 P7255315.JPG        P7255320.JPG 

nice!(515)  コメント(7) 

青緑の鳳来寺 Ⅱ [神社・仏閣]

P5024596.JPG
 
 
 
 
 
 
 鳳来寺参拝は4度目、登り口に立っている殺生禁断の碑から鳳来寺の境内となり、
 
本堂まで1425段の[源頼朝]が寄進されたと伝えられている石段へ・・・・・
 
 
 P5024566.JPG
 
 
 P5024568.JPG                P5024571.JPG
 
 
 
薄暗い杉木立の中、江戸幕府3代将軍[徳川家光]の寄進で建てられた
 
鮮やかな朱色が際立つ、国の重要文化財指定の仁王門
 
 
 P5024573.JPG
 
 P5024574.JPG                P5024575.JPG
 
 
 
 鳳来寺山で最も優れた木の[傘杉]、目通り周囲約7.5m樹高60m樹齢800年の
 
新日本銘木百選に選出された傘杉を過ぎたあたりから、石段は徐々に急に・・・・・・
 
 
 P5024579.JPG
 
 
 
 
 
前回の参拝(4年前)では一度も休憩無しで登れましたが、今回は7度も腰を下ろして小休止・・・・・
 
 
 
鳳来寺は1300年前に利修仙人によって開かれ、天宝3年(703)に文武天皇から
 
鳳来寺の名を賜って建立されたと伝えられています。
 
以来広く信仰を集め[源頼朝]も厚く信仰され大伽藍堂を寄贈、永年隆盛をきわめました。
 
現在は真言宗五智教団の本山で、本堂は昭和49年に再建しました。
 
 
 P5024580.JPG            P5024581.JPG
 
 
 
 
 
慶安元年(1648)3代将軍家光公が日光東照宮を参拝した折り、[東照宮の縁起]を
 
ご覧になられた事がきっかけで、東照宮の新設を発願され建立に至ったそうです。
 
 
 P5024588.JPG                 P5024589.JPG
 
 
P5024590.JPG
 
 
 
P5024599.JPG
 
 
P5024563.JPG P5024617.JPG P5024611.JPG 

nice!(575)  コメント(16) 

青緑の鳳来寺 Ⅰ [神社・仏閣]

P5024555.JPG
 
 
 
 
 
五月晴れのもと、仏法僧が生息し四季を通じて楽しめる、愛知県奥三河の[鳳来寺]へ・・・・・
 
薬師信仰と山岳修験道の霊山として古くから信仰を集めてきた聖地は、眩しいばかりの新緑で
 
様々な木々のコントラストが目を楽しませてくれると共に、心身の健康と安らぎを与えてくれました。
 
 
 P5024497.JPG
 
P5024498.JPG          P5024500.JPG
 
 
 P5024549.JPG                    P5024544.JPG
 
 
 
 
 
 
愛知県立鳳来寺高等学校(左)は、昭和16年(1935)に鳳来寺女子高等学園として開校、
 
その後再編を繰り返してきましたが、平成21年(2011)2月27日をもって閉校。
 
 
旧門谷小学校(右)は、明治5年(1872)に郷小学校として創立され、
 
昭和45年(1970)3月31日に廃校となりました。
 
 
 P5024508.JPG          P5024510.JPG
 
 
P5024513.JPG
 
 
P5024517.JPG          P5024533.JPG
 
 
 
 
 
鳳来寺山は硯に適した石が採れるため、昔から硯の産地として知られていました。
 
現在も硯屋さんが、昔ながらの手彫りにこだわり、硯を制作しています。
 
 
P5024553.JPG
 
 
 
 
 
※鮮やか新緑についついたくさん撮ってしまい、門前町の画像を前編と致します。
 
P5024557.JPG 
 
 
 
 
 

nice!(554)  コメント(12) 

五剣山 八栗寺 [神社・仏閣]

P9292184.JPG
 
 
 
 
 
香川県高松市牟礼町の[第85番 五剣山 八栗寺]は、天長6年(827)弘法大師がこの山に登り
 
求聞持(ぐもんじ)の法を修され、その満願日に空中より五柄の剣が降り金剛蔵王が示現、
 
山の鎮護を告げられたと言われています。
 
大師はその剣を山の中腹に埋め、千手観音菩薩像を刻んで堂宇を建立、当山を五剣山と号した。
 
 
 
 P9292183.JPG      P9292177.JPG
 
 
 
 
屋島の東、標高375mの五剣山山頂からは、広く八ヶ国が望めるため寺号は八国寺とされていましたが、
 
弘法大師が唐に渡る前に植えた焼き栗8個が、帰国後も成長繁茂しており寺号を[八栗寺]と改めました。
 
 
 
P9292182.JPG
 
 
P9292178.JPG         P9292181.JPG
 
 
 
 
P9292185.JPG
 

蹉陀山 金剛福寺 [神社・仏閣]

P9201966.JPG
 
 
 
 
 
 
高知県土佐清水市足摺岬の[蹉陀山(さださん)金剛福寺]は、嵯峨天皇より[補陀落車門]の
 
勅願を賜った弘法大師が、弘仁13年(822)足摺岬に来錫し、[三面手観音菩薩像]を刻み
 
それを本尊として寺を開創され[月輪山 金剛福寺]と号し、四国三十八番札所に定められた。
 
 
その後、金峰上人が住職を務められていた時に、岬周辺で暴れ狂っていた天魔を
 
法力をもって蹉陀し退かしたことにちなんで、[蹉陀山 金剛福寺]と改号されました。
 
 
 P9201962.JPG
 
 
P9201963.JPG P9201964.JPG P9201965.JPG
 
 
 
 
 
黒潮が日本で最初に接岸する四国最南端の足摺岬は、80mの海食断崖がそびえ
 
亜熱帯植物のビロー樹が自生し、椿が茂る遊歩道が整備された景勝地です。
 
 
 
 P9201978.JPG
 
 
 
 P9201984.JPG         P9201986.JPG

伊勢へ [神社・仏閣]

愛知県渥美半島の先端・伊良湖から、海のバイパスで伊勢志摩・鳥羽へショートカット
 
P8301517.JPG         P8301524.JPG
 
 
 
古来より特別な神社として敬われてきたのが[伊勢神宮]で、正式には[神宮]と呼ばれています。
 
 
 [伊勢神宮]は2つの正宮があり、太陽を神格化した天照大御神を祀る[皇大神宮(内宮)]と、
 
 
食物・穀物を司る神の、豊受大御神を司る[豊受大神宮(外宮)]が、鎮座します。
 
 
 P8301525.JPG         P8301526.JPG
 
     P8301533.JPG                 P8301532.JPG 
 
 
P8301536.JPG
 
 
 
 皇大神宮(内宮)前にある、お陰参り(お伊勢参り)で賑わった、江戸時代末期から明治初期の
 
門前町の町並みを再現した[おかげ横丁]は、お伊勢さんらしいレトロな雰囲気が漂っています。
 
 
 P8301527.JPG
 
P8301529.JPG          P8301528.JPG 

智満寺と千年杉 [神社・仏閣]

P8061406.JPG
 
 
 
 
静岡県島田市街地の北方に位置する、千葉山(標高468m)の山腹(350m)にある
 
天台宗の古刹[千葉山智満寺]は、寺伝によると奈良時代の創建で、[鑑真]の法孫に
 
あたる[広智]という高僧が、草庵を結んだのが始まりと言われています。
 
P8061415.JPG
 
P8061356.JPG   P8071422.JPG   P8061355.JPG
 
 
 
 
 本堂は、木造入母屋造流向拝付の茅葺きで、格子により内陣と外陣に仕切られています。
 
P8071426.JPG
 
P8071429.JPG
 
P8061391.JPG  P8061388.JPG  P8061390.JPG 
 
 
 
 
 
 [智満寺の10本杉]は、千葉山に智満寺を開山・再建した際、植栽されたと言い伝えられています。
 
推定樹齢は1200年(開山スギ)、850年(他の9本)と言われています。
 
昭和37年に10本一括で、国の天然記念物に指定されましたが、指定後に[開山スギ]と[子持ちスギ]の
 
2本は枯死、残る8本のうち[頼朝スギ]が平成24年9月に台風により倒木しました。
 
 
P8071451.JPG             P8071450.JPG 
 
 
P8071439.JPG             P8071442.JPG 
 
P8071441.JPG                        P8071446.JPG 
 
 
 

初山 宝林寺 [神社・仏閣]

P3179575.JPG
 
静岡県浜松市北区細江町に所在する、初山 宝林寺(しょさん ほうりんじ)は江戸時代の初期、
 
寛文4年(1664年)に、旗本金指近藤家2代目当主、登之助貞用(のぼりのすけ さだもち)公の
 
招きに応じた明国の僧、独湛(どくたん)禅師によって開創された黄壁宗(おうぼくしゅう)の寺院です。
 
P3179557.JPG       P3179560.JPG 
 
 
 寛文7年(1667年)に建立された佛殿(国指定重要文化財)は、中国明朝風の建築様式を
 
現代に伝える貴重な建造物で、正面には本尊釈迦三尊像、左右の逗子に[達磨大師像]
 
[武帝像]、両側の壇上には二十四天の善神像を祀っています。
 
 P3179569.JPG
 
 P3179570.JPG P3179568.JPG P3179576.JPG
 
 
 方丈(国指定重要文化財)は、住職の起居堂として、また修行僧たちを指導する
 
禅問答の場として、正徳6年(1716年)建立されました。
 
 P3179585.JPG
 
 
総ての恩に報いるために独湛禅師が建てた報恩堂(浜松市指定文化財)
 
 
 P3179561.JPG
 
 
P3179589.JPG              P3179622.JPG
 
 
 
P3179616.JPG              P3179609.JPG 
 

秋葉山本宮秋葉神社 [神社・仏閣]

P3129414.JPG
 
 
 浜松市天竜区春野町に所在する[秋葉山本宮秋葉神社]は、全国の400社を数える秋葉神社の総本宮で、
 
火の幸を恵み、悪火を鎮め、火を司り給う神様として、全国津々浦々から崇敬されています。
 
 標高866mの秋葉山は古来より山岳信仰の山として敬れていました。
 
秋葉山本宮秋葉神社の創建は、和銅2年(西暦709年)と伝えられています。
 
 
 P3129396.JPG             P3129398.JPG
 
 
 P3129407.JPG        P3129412.JPG
 
 
 中国の神話に登場する世界の4方向を守る聖獣で、東の青龍、南の朱雀、西の白虎、北の玄武
 
 P3129417.JPG        P3129418.JPG
 
 P3129415.JPG        P3129416.JPG
 
 
P3129430.JPG
 
P3129433.JPG 
 
 
P3129422.JPG P3129425.JPG P3129427.JPG 

霊犬早太郎伝説 [神社・仏閣]

P7145861.JPG
 
長野県駒ヶ根市赤穂の、宝積山光前寺には昔から[霊犬早太郎]の伝説が伝えられています。
 
今よりおよそ700年程前光前寺には 、早太郎という強い山犬が飼われていました。
 
その頃遠州府中(現 静岡県磐田市)見附天神では、毎年祭りの夜に1人の子女を
 
人身御供として神前に供えるという悲しい習わしが続いていました。
 
この子女を拐う怪物が、信州の早太郎を恐れていることを知り、光前寺より借り受け子女の
 
身代わりとなった早太郎の力により、怪物(老ヒヒ)は退治され村の災難はなくなりました。
 
以後、早太郎は不動明王の化身で、除難・厄除けの霊犬とされ、信仰をあつめました。
 
 
P7145887.JPG                P7145889.JPG 
 
 
P7145874.JPG                 P7145877.JPG
 
P7145880.JPG 
 
P7145879.JPG                P7145881.JPG 
 
開祖本聖上人は、比叡山にて研学修業後、この地に寺を開き、以来1100余年の
 
長い歳月を歴て、南信州随一の祈願霊場として広い信仰を集めています。
 
長野県宝の三重の塔は、南信州唯一の三重で、高さ17mの均整のとれた美しい塔です。
 
 
P7145910.JPG      P7145902.JPG
 
 
P7145891.JPG      P7145917.JPG
 
P7145904.JPG                P7145913.JPG 
 

大体山 方廣寺 [神社・仏閣]

P5225198.JPG

浜松市北区引佐町奥山に所在する、大体山方廣寺(奥山半僧坊)は末寺170ヶ寺を擁する

臨済宗方廣寺派の大本山で、井伊家の一族である奥山六郎次郎朝藤が後醍醐天皇の皇子

無文元選禅師(むもん げんせん ぜんじ)によって建徳2年(1371年)に開創された

禅寺で深奥山方廣萬寿禅師と称し、60ヘクタールの境内には

本堂・半僧坊真殿・三重の塔など60余棟の伽藍を擁する古刹です。

 

朱塗りの山門は、足利紫山老師の代に再建されたもので、正式には

空(くう)・無相(むそう)・無作(むさ)の三解脱を標識するもので三門というそうです。

P5225175.JPG

P5225180.JPG           P5225259.JPG

建徳2年(1371年)に建てられた本堂は、数度の山火事による類焼をうけ消失、

現在の本堂は、明治38年から大正7年にかけて竣工されたもので、間口32m奥行き27mの

東海屈指の建物で、中央の大額[深奥山]は山岡鉄舟の書によるものです。

P5225213.JPG

 

P5225236.JPG          P5225212.JPG

本尊は釈迦如来で脇侍(わきじ)に文殊と普賢の2菩薩が安置されています。

正平9年(1354年)に仏師[法橋院遵][法眼院廣][法印院吉]の3人によって彫刻された木像で、

元禄の頃に水戸の徳川光圀卿(黄門さま)の命により修繕したと背面に誌されている。

もとは茨城郡古内村の清音寺に祀られていたものを、明治末期に当山に移したと記されている。

P5225219.JPG   P5225220.JPG   P5225221.JPG

P5225228.JPG

明治14年の大火直後に三河の工匠により建てられた、権現造りの半僧坊真殿と

大正12年に建立された三重の塔

P5225202.JPG                  P5225262.JPG

工匠岩五郎による一木彫りの上り龍と下り龍

 

P5225204.JPG           P5225205.JPG

P5225192.JPG           P5225217.JPG


若緑の鳳来寺 [神社・仏閣]

P4184397.JPG

愛知県新城市の鳳来寺山は標高695m、1500万年前の火山の名残で

流紋岩・松脂岩・デイサイト等から形成されています。

5月には、仏法僧の鳴き声で全国に知られる、コノハズクが飛来し、木の上では

モリアオガエルが産卵を始め、全山が岩石や動植物の貴重な宝庫となっています。

P4184466.JPG      P4184453.JPG

芭蕉 来鳳300年

こがらしに   岩吹(いわふ)きとがる    杉間(すぎま)かな

夜着(よぎ)ひとつ 祈出(いのりいだ)して 旅寝(たびね)かな

 芭蕉は、元禄4年(1691)10月23日、新城在住の太田白雪に

案内され、鳳来寺山に登山しました。

こがらしの句は、芭蕉がセイバシという所を通った時、即座に詠ぜられた。

夜着の句は、仁王門に差し掛かった頃、持病が激しく痛みだし

やむなく下山、生憎この日は、鳳来寺の秋祭りでどの宿も満員、

無理に頼んで泊めてもらった宿屋の部屋は、風が吹き抜け布団も粗末、

弟子が夜道を帆走し、寺から夜着を1枚借用した時の句です。

 

鳳来寺は鳳来寺山の山頂付近にある、真言宗 五智教団の寺院で

大宝2年(702)に利修仙人が開山したと伝えられている古刹で、

参道の石段が1425段あり、うっそうとした杉木立に囲まれた仁王門は、

3代将軍徳川家光により建立され、国の重要文化財になっています。

P4184375.JPG      P4184381.JPG

P4184436.JPG      P4184447.JPG

P4184468.JPG

 P4184441.JPG         P4184439.JPG

鳳来寺表参道沿いの 旧門谷小学校は、廃校から10数年経過し

現在は[東海市山の家]として、綺麗に整備されています。

こんような素晴らしい環境で育った子供達を羨ましく思いました。

P4184390.JPG

 P4184402.JPG     P4184391.JPG

P4184394.JPG          P4184413.JPG

P4184418.JPG P4184385.JPG P4184449.JPG

 


萬松山 龍潭寺 [神社・仏閣]

P4053217.JPG

浜松市北区引佐(いなさ)町井伊谷の萬松山 龍潭寺(りょうたんじ)は、天正5年(733)

行基菩薩開創、八幡山 地蔵寺に、始まると伝えられています。

寺の南に井伊氏祖共保公、出生の伝説を残す、八幡宮御手洗の井戸があります。

この寺域はもと井伊八幡宮の境内でしたが、500年前井伊氏がこの地に

龍泰寺(現龍潭寺)を造営しました。龍潭寺は井伊城南の

守り砦の役目を果たした歴史があります。

P4053257.JPG      P4053125.JPG

P4053132.JPG      P4053246.JPG

P4053157.JPG

井の国を本拠としていた井伊氏は、平安時代より室町時代まで、遠江の代表的

国人領主として西遠地方を治めてきました。

井伊介を名乗り、鎌倉幕府に仕えて南朝方の皇子 完良親王(むねながしんのう)

を迎え北朝軍と戦い、室町時代今川軍が遠江に侵攻すると

果敢に立ち向かいましたが敗れ、戦国時代に入ると井伊家は受難の連続で

今川義元と共に出陣した、井伊家22代直盛は、桶狭間で戦死。

元禄5年に養子直親(なおちか)は今川の手で殺害され、やむなく龍潭寺南渓和尚は、

直盛の娘を[女性地頭]に立て、井伊家の急場をしのぎます。

元禄11年、徳川家康が遠州に侵攻、井伊谷を平定します。

天正3年、井伊家24代直政は、浜松城で家康に仕え見事に井伊家を再興しました。

P4053275.JPG          P4053190.JPG

P4053131.JPG          P4053165.JPG

堂内鶯張りの廊下、甚五郎作の龍の彫刻を見て、本堂裏の庭園に出る。

小堀遠州作の龍潭寺庭園は、東峰・中峰・西峰の3つの築山を設け、

東西に心地池が流れ、数多くの石組みによる枯滝が配置されています。

P4053203.JPG P4053204.JPG P4053207.JPG

P4053206.JPG P4053231.JPG P4053229.JPG

P4053224.JPG

P4053226.JPG     P4053227.JPG

P4053265.JPG     P4053276.JPG


蒲郡・竹島 [神社・仏閣]

P1241273.jpg

国の天然記念物に指定されている蒲郡のシンボル[竹島]は、標高22m・周囲約680m・

面積1.9haで、対岸と387mの竹島橋で結ばれています。

島の中央には、日本七弁財天の一つで開運・安産・縁結びの神を

祀った[八百富神社]があります。

P1241191.jpg    P1241268.jpg

八百富神社は[市杵島姫命]を祀る神社で養和元年に、藤原俊成卿が三河の国司

として在任中、1181年に琵琶湖の竹生島より勧請し

創立され800年をこえる歴史をもちます。

P1241195.jpg     P1241210.jpg

P1241215.jpg     P1241201.jpg

P1241269.jpg      P1241271.jpg

城郭風の外観の蒲郡クラシックホテル

P1241230.jpg     P1241194.jpg

P1241236.jpg P1241242.jpg P1241259.jpg

弘法山頂の[三河高野山金剛寺]には、三谷の弘法さんと親しまれている、

高さ31mで東洋一の子安大師像あります。

P1241275.jpg         P1241277.jpg 

P1241286.jpg

[マニ車]は側面にマントラが刻まれており、内部には

ロール状の経文が収められています。

  P1241280.jpg         P1241281.jpg


富士山本宮浅間大社 [神社・仏閣]

PC040562.jpg

静岡県富士宮市宮町の[富士山本宮浅間大社]は、大同元年(806年)に建立され

日本国内に1、300社ある浅間大社の総本宮です。

富士山を御神山とし東海地方最古の名社で奥宮は富士山頂にあります。

PC040538.jpg    PC040540.jpg  

楼門の左右に随身が安置してあり背銘に慶長19年(1614)

の年号が書かれています。

浅間造りと呼ばれる社殿は、徳川家康の寄進によるものです。

PC040544.jpg

PC040546.jpg     PC040565.jpg 

国指定特別天然記念物の[湧玉池(わくたまいけ)]は、霊峰富士の

雪解け水が、溶岩の間から湧き出るもので、水温は摂氏13度、

湧水量は、1秒間に3.6キロリットルで年中殆ど増減はありません。

PC040548.jpg     PC040549.jpg

PC040552.jpg     PC040560.jpg

[桑木野の大家]といわれた稲葉家は、桑木野地区の中心的家柄で

建築時期は18世紀前期と考えられ、

富士市に現存する古民家では最古のものとなるようです。

PC040534.jpg     PC040536.jpg


久能山東照宮 [神社・仏閣]

PC040469.jpg

静岡市駿河区根古屋の久能山(くのうさん)には、推古天皇(592~628年)の頃

久能忠仁(ただひと)が、建立したと伝えられた久能寺があり、

多くの名僧がここを往来し、隆盛をきわめました。

下って永禄11年(1568)、駿府へ進出した武田信玄は、久能寺を現在の

鉄舟寺に移し、ここに久能城を築いたが武田氏の滅亡とともに、

徳川氏の領有するところとなり、家康薨去(こうきょ)後その遺言により

ここに葬られ、二代将軍秀忠により社殿が造営されました。

我が国最初の東照宮で、本殿・石の間・拝殿が国宝に指定されています。

PC040440.jpg        PC040441.jpg

駿河湾を眺めながら1159段の石段を登ると聖地東照宮

鮮やかな色彩の楼門・鼓楼・神倉

PC040452.jpg

PC040455.jpg    PC040458.jpg

PC040456.jpg

国宝の本殿と拝殿

PC040461.jpg

PC040471.jpg

PC040474.jpg   PC040470.jpg   PC040468.jpg

静岡市清水区三保の松原は砂嘴(さすい)と呼ばれる一種の半島で

羽衣の伝説のある白砂青松の景勝地です。

PC040484.jpg     PC040485.jpg

世代交代により平成23年に新しいシンボルとなった[新羽衣の松]と初代

PC040486.jpg    PC040487.jpg

PC040490.jpg    PC040501.jpg


湖北五山・摩訶耶寺 [神社・仏閣]

PA154868.jpg

静岡県引佐郡三ヶ日町摩訶耶(まかや)に所在する大乗山宝池院 摩訶耶寺(まかやじ)は、

神亀3年(726)聖武天皇の勅願時として、行基菩薩により開創された静岡県

最古の古刹の一つであり、1632年(江戸時代)に再建された本堂は入母屋、

総ケヤキ造りで格天井には、法橋関中(ほっきょうかんちゅう)の筆による、

350年前に描かれたとは思えない色彩色の花鳥図が配されています。

PA154825.jpg       PA154826.jpg

PA154827.jpg      PA154833.jpg

宝物殿には国指定重要文化財のヒノキの一木彫りで凛々しい姿の不動明王像、

唇に朱色を留めた気品が漂う千手観音像と県指定重要文化財の

円満な美しい顔立ちの阿弥陀如来像が平安初期の典雅な趣を今も感じさせます。

PA154829.jpg PA154832.jpg PA154831.jpg

昭和43年の学術調査の結果、1240年頃に作庭されたものと推定された摩訶耶寺庭園は

東日本では珍しい中世庭園を代表する、県下最古の庭といわれています。

PA154835.jpg    PA154840.jpg

PA154869.jpg       PA154875.jpg


天平の杜・府八幡宮 [神社・仏閣]

P9244559.jpg

静岡県磐田市中泉に所在する[府八幡宮]は、天武天皇(673~686)の曽孫、

桜井王が天平年間(727~748年)に、遠江の国の国司として着任した時、

国府の庁内に勧請されたのが始めであると伝えられています。

P9124460.jpg     P9124459.jpg

楼門は徳川三大将軍家光の時代、寛永12年(1635)に建造され

現在は県指定文化財で屋根はこけら葺きです。

P9124447.jpg

明治元年(1868年)に廃止された神宮寺の築地塀も1部残っています。

P9124458.jpg     P9124469.jpg

桶ヶ谷沼(左)と鶴ヶ池(右)

桶ヶ谷沼は、平地性淡水沼でトンボの種類の多い事で全国的に有名です。

鶴ヶ池は、桶ヶ谷沼と森を挟んで隣接し、ジュンサイやオニバス等

水性植物が多く、その昔 源頼朝が兄朝長の菩薩を弔う為に

黄金の札を付けた鶴を放った事が名の由来とされています。

P9244581.jpg     P9244586.jpg

P9244567.jpg P9244572.jpg P9244580.jpg


元善光寺 [神社・仏閣]

P8104147.jpg

長野県飯田市坐光寺の[定額山 元善光寺]は、今から1,400年前推古天皇10年に

本多善光卿によって開山されたと伝えられている。

善光卿は麻積(おみ)の里の出で国司に随って都に上り、難波の堀江で一光三尊の

如来に巡り会い、これを背負って故裡に帰り臼を淨めて安置し奉った。

41年を過ぎ、第35代皇極天皇2年勅名により、本尊は芉井の里に

還され今の長野善光寺がそこに始まりましたが、この時

同じ一光三尊仏を造ってこの地に留められ元善光寺と呼ばれるようになった。

善行寺の名は本多善光卿の名に基き、元善行寺の元は[本元]の意で

古来より善光寺に参詣するだけでは片参りになると伝えられてきた。

P7294002.jpg     P7293991.jpg

P7293993.jpg

P7294000.jpg       P7293999.jpg

遠山郷土館 和田城

遠山郷の領主遠山氏は多年居住していた名古山長山城からこの地に移り

天文の末頃(1550)和田城を築城しましたが、元和3年(1617)家督相続

の縺れから、[家督不取り締り]のかどで改易となり幕府直轄領となった為

武家諸法度[一国一城令]により和田城は廃止になりました。

その後慶安元年(1648)徳川家光より龍渕寺へ朱印地として下付され

慶安4年(1651)以後寺の境内地となっていました。

P8104131.jpg

P8104133.jpg     P8104127.jpg

天空の里

飯田市上村下栗地区は標高800m~1,000m、最大傾斜38度の急峻な

地形に位置し、点在する耕地や家屋は遠山郷を代表する景観で、

[日本のチロル]と呼ばれ南アルプスを望む景観は素晴らしく

日本の里100選にも選ばれました。

P8104122.jpg        P8104116.jpg

P8104123.jpg


千古の神山・本宮山 [神社・仏閣]

P7193912.jpg    P7193913.jpg

愛知県の豊川市、岡崎市、新城市にまたがる本宮山(海抜789m)の山頂付近に、文武天皇

大宝年間(約1300年)以前より砥鹿(とが)神社が鎮座しています。

この地には古代祭祀遺跡[磐座(いわくら)]が点在し

昔から神祭りが行われていたものと想起できます。

太古より保護された神域の自然林は1千年近い大木が林立し、繁茂した

草木と共に愛知県天然記念物に指定されています。

P7193919.jpg

P7193911.jpg   P7193926.jpg   P7193918.jpg

岡崎市内の中心を流れる乙川の支流である男川の源[くらがり渓谷]は

美しい天然林と、その間を縫って流れる清流が見事に調和し、

絶妙の自然美を創りだしています。

渓谷沿いにはバンガロー村やキャンプ場、コテージが整備され

マス釣りやマスの掴み取りを楽しむ事ができます。

P7193930.jpg    P7193935.jpg

P7193948.jpg   P7193941.jpg   P7193953.jpg

本宮山の麓のほのぼのとした里山[ぬくもりの里 和田]

 P7193898.jpg   P7193901.jpg

P7193900.jpg     P7193908.jpg


この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。